★ 先週の中部中会第二回定期会が閉会しました。嬉しいことは、既に神戸改革派神学校で全科聴講生として学んでおられる○○神学生が、教師候補者として登録されたことです。生命倫理の研究者でしたが、40代半ば、御言葉の伝道者としての召命を受けて、立ちあがられました。決して早いとは言えない伝道者としての出発となろうかと思います。しかし、これまでの経歴をすべて主にお捧げし、そして必ずそれらが将来の伝道牧会に用いられることをも信じつつ、神学と伝道者としての研鑽に励まれますよう、祝福を祈ります。
☆ 伝道献身者が起こされること、それが今日、どれほど感謝すべきことか・・・、それをいやおうなく付きつけられるのは、無牧の教会が急速に増えている現実があるからです。中央線沿線の教会、春日井教会そして、来春から高蔵寺教会、瑞浪伝道所、そして中津川教会と、定住伝道者を欠いた教会、いわゆる「無牧」です。教会がキリストの教会であるために、不可欠なものは、「説教と聖礼典」です。その為に、必須となるのは、 それを担う教会の務め人、説教者です。教会共同体の形成とは、説教者と教会員とが一つの生活を築くことでもあります。共に一つの生活を編む中で、その教会として説教が生み出されるのです。その意味でも、説教は、「教会の作品」です。もとより、講壇交換や他の説教者をお招きすることの益は、どれほど大きいことでしょうか。(今定期会では、来年の中会内の講壇交換は、説教者不足等の調整が困難とのことで、取りやめる提案が議長書記団から出され、可決されました。私は、反対の意見表明を致しました。)しかし、カルバンがキリスト教綱要で言うように、「ひとりの拙い説教者の説教を、忍耐して聴きとるところに、神の民が訓練される」のです。どこか皮肉めいた表現にも聞こえますが、真実だと思います。伝道委員会が調べたところでは、5年後には、実に22名!の牧師たちが引退されます。既に、142教会伝道所の中で、教師は121名でしかありません。これが、私どもの現実です。(日本のほとんどすべての教会、教団も例外ではありません。)
★ 今定期会で、日韓協力開拓伝道のための懇談会が1時間を越えて持たれました。さらに、定期会終了後、有志の懇談の集いも設けられました。2014年に、名古屋圏で東釜山老会と中部中会との協力開拓伝道を開始することが決議されています。そのために、「関連委員会」は、信徒研修会で昨年、今年と連続して取り扱い、さらに信徒神学講座も2年連続して、学びを重ねました。しかし、これに対する中会の信徒の皆さん全体の応答は、率直に申しますと、熱いものとは言えないように思います。理由は、多岐に渡ると思います。しかしこの状況は、憂慮すべき段階に来ていると思います。今年の信徒神学講座は、日韓協力開拓伝道をまったく抜きにしても、近年、稀な優れた講演であったと思います。私どもは、読書会の講演記録を学びたいと考えています。お二人とも他教団の講師でしたが、韓国と日本が協力して伝道することの肯定面と課題面とが語られました。 紙幅が足りません・・・。次週に・・・。下記、「改革派中部」誌寄稿の「本の紹介」をご参照!
☆ 「岐路に立って -父・朱基徹が遺したもの」 朱光朝著 いのちのことば社 2012年10月31日1400円
著者である故・朱光朝(チュカンジョ)長老は、殉教者・朱基徹(チュキチョル)牧師の四男です。2006年の中部中会信徒研修会の講師としてもご奉仕下さったのでご記憶の兄妹も少なくないと思います。2011年6月26日、召天されました。13歳の著者は、日本帝国の神社参拝強制に抵抗して、官憲の拷問にボロボロにされた死の直前のお父さまを目撃されました。朱基徹牧師は、「キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満た」(コロサイ1:24)すべく殉教者とされました。著者は遺族として、筆舌に尽くしがたい悲しみ、葛藤の中を過ごされました。信仰の内なる戦いの末、父の信仰と戦いの意味を、殺した側の日本の福音化のビジョンをもって証言するため、各地で講演して下さいました。
恐るべき力で右傾化を加速する政治状況の下、また、日韓協力開拓伝道を祈り求める中部中会の会員としても、この書物によって、日本と教会の罪を見つめ、何よりも、福音の力とその信仰に向き合っていただきたいと願います。それは、これまでの日本の教会の妥協と自己保身の歩みとは異なる一歩を力強く踏み続けたいと願うからです。
なお、この書物は、日本で組織されている「朱基徹牧師記念の集い」(委員会)によって生み出されました。委員会による証言集は、公刊されませんでしたが、すばらしい証言に満ちています。「朱牧師は、日本の教会が新しく生まれ変わるための大きな光です。~日本の教会が最も見たくない所に、神は日本の教会の復興の鍵を置かれました。」(日本同盟キリスト教団赤羽聖書教会 野寺博文牧師)その通り(!)と思います。この委員会も、光を放っています。しかしなお、日本の主流教界は、無視するかもしれません。私たちは…?