過去の投稿2012年12月31日

12月30日

★  これを書いているのは、水曜日です。第8回の被災地ディアコニアに出発するのは、明日早朝です。昨日、無事、冬用タイヤに交換しました。そして、一部配布予定のスガキヤの味噌煮込みうどんは、先ほど、段ボール6箱を取りに行くこともできました。3:11以降、心は、被災地、そこで出会った方々のことに向きます。「愛 燦々」という歌が、集会室で歌われると思います。その愛とは、天から、天のお父さまから降り注がれるものであることを、証し、告げたいと願っています。

☆  燭火礼拝式は、4名の幸いな証を伺えました。いつもより、10分長く、70分で閉会の予定でした。しかし、15分も超過してしまいました。私の説教は、その場で短縮することは、ほとんど不可能ですが・・・。しかし、短縮版として、お話しました。意味が通じたか・・・、案じます。また、来年・・・挑戦するかもしれません・・・。

★  今日は、おそらく臨時伝道所委員会を開催することとなると思います。いよいよ、教会設立を目前にして、小会組織、執事会組織が果たされようとしています。今総会は、まさにその過渡期となります。

政治規準の学び  第8章 教  師

第43条(教師の職務) 教師の職務は、その重要性の故に教会において第一位を占めるものである。聖書は、この職務を遂行する者について各種の名称を与えて、その働きの多様性を示している。キリストの群れの監視者である故に「監督」と名付けられ、羊の群れを霊的に養う故に「牧師」、教会においてキリストに仕える者である故に「しもべ」、羊の群れに対し分別と知恵を持ち、彼らの模範となり、キリストの家・キリストの御国をよく治める義務を持つ者である故に「長老」、罪人に神の御旨を宣言し、キリストによる神との和解を勧めるために遣わされた者である故に「使者」と呼ばれる。更に、無知の中に滅びつつある者に救いの音信をもたらす者である故に「伝道者」、福音を宣教するために立てられた者である故に「説教者」、御言葉を解説し健全な教理を説き、反対論を論破する者である故に「教師」、神の多種多様の恵みとキリストが制定された礼典を取り扱う者である故に「神の奥義の管理者」と呼ばれる。これらの名称は、職務の階級を示すものではなく、皆同一の職務を表している。
  ⇒政治規準の中で、これほど詳細に解説されるのは、「教師の職務」をおいて他にないように思います。 
まさに、「教師の職務は、その重要性の故に教会において第一位を占めるものである。」の通りです。教会は、良くも悪くも教師によってほとんど決定される・・・。それほどまでに、影響力があるものです。何故なら、教会は神の言葉によって立ちもし、倒れもするからです。ただし、長老主義教会は、その「第一位」を認めつつ、それだけに、その「危うさ」をも同時に、真剣に考えています。それが、治会長老の職務です。教師が、教理、教会憲法から逸脱したり、信仰生活において模範とならないことが起こった時には、これを質し、正す責任があるわけです。しかし、通常の場合は、担任教師をどのように生かすことができるのかを、誰よりも深く考え、配慮することが求められます。その意味で、長老主義教会の生命線は、「小会」にあると言っても決して言い過ぎではないはずです。小会の祝福、それが必ず、教会全体の祝福に繋がります。それにしても・・・、教師の職務の重さ・・・を思わざるを得ません。ただ、神によりすがり、憐れみにすがるしかありません。また、教会員にこの職務を「理解」していただき、何よりも「協力」して頂く以外にありません。教師と共に働く会員になって欲しいのです。協働者、同労者・・・です。今年の一年、自ら、「監督」・「牧師」・「しもべ」・「長老」・「伝道者」・「説教者」・「教師」・「神の奥義の管理者」・・・としての歩みを振り返る時、まさに、「主よ、憐れんで下さい」の祈りあるのみです。そして、皆さまへの感謝あるのみです。

第44条(教師の資格) この職務を担当する者は、十分な教養と健全な信仰を持ち、生活に恥じるところがなく、教えることにたん能な男子でなければならない。また、福音にふさわしく生活し、家をよく治め、家の外でもよい名声を得ていなければならない。
  ⇒「男子」の限定が、いよいよ近い将来、取り除かれることとなります。大会の最終的な議論について、いつか私どももあらためて「女性役員」について学びたいと思います。

第45条(教師の種別) 教会は、教師を牧師・協力牧師・宣教教師・神学教師・巡回教師・宣教師・その他教会が必要とする職務に任じることができる。
  ⇒今年、わたしは宣教教師(伝道所の教師)から牧師(教会の教師)となります。しかし、わたしの中で何も変わるものはありません。本質は同じだからです。