過去の投稿2013年1月12日

1月6日

★  2013年度が始まりました。今年もよろしくお願いいたします。わたし自身、心から祈り願っていること、 それは、「慰めの共同体」の形成です。皆さまの中には、懐かしい…響き、と思われる方も少なくないと思います。あるいは、また、同じこと・・・、と思われる方もいらっしゃるでしょうか。

   「ここに神の教会を、ここにキリストだけを主と告白する慰めの共同体を形成させて下さい。」これは、開拓伝道開始の最初の週報に記した素朴な祈りです。いらい、19年、この祈りを、祈り続けてまいりました。慰めの共同体とは何かについて、ぜひ、この数年の間に洗礼入会あるいは加入された兄弟姉妹は、ぜひ、過去の様々な文書を探してお読みください。この慰めは、「傷をなめ合う」とか「べたべたした交わり」・・・とか、とは全く異なります。キリストを主と告白する信仰の歩みが貫かれるところで実現される、「キリストの慰め」にあずかる道を祈り求めて行くことです。したがって、この慰めは、この世のものとは異質なものです。 キリスト者でなければ、理解できない幸いです。

   「慰めの共同体」を、別の表現で言えば、「お互いに、すぐに祈りあえる交わり」をつくるということになるかと思います。残念ながら、放っておけば、赦された罪人の集いである教会の交わりが世間話に流れてしまうことが起こります。世間話とは、いわゆる「生活における自慢話」です。勝った負けた、優越感劣等感を持つのです。言わば、「外面的な成功」に関心を追求するのが「この世」です。しかし、教会は、まことの勝利、まことの成功がどこに、何にあるのかを知らされました。キリストご自身です。言わば「内面的な成功」こそ、本物だと知らされています。この特権を、奪われてはなりません。教会は、キリストを主とし、頭とした交わりです。私どもの絆は、ただ「キリストにのみ」、言葉を換えれば、「信仰告白」にのみあります。

   今年も、礼拝式後の「御言葉の恵みを分かち合う集い」を大切にしてまいりましょう。また、隣の席の兄姉と、気軽に祈りあえるような交わりを育てましょう。「祈りの空気(雰囲気)が充満する教会共同体」!!  なんとすばらしいことでしょうか。お互いを愛しあい、赦しあい、受け入れあう、笑顔の交わり・・・。「イエスさまはすばらしい、神さまはこんなにすばらしい・・・。」そのような「恵みの証(会話)が飛び交う交わり」・・・。これは、私どもの心の底からの憧れだと思います。

そして、それはまた、「賛美の空気」に満ちた交わりとなるだろうと思います。言わば、「歌う教会」です。先週の説教で学びました。「おお!」あるいは「ああ!」という神の恵みの深さへの驚きの「音声」、ただそれだけでもよいのです。とにかく、心の底からの感動の声、それが賛美の源です。どんなに上手に歌っても、 神に届くかどうかを思います。(ただし、わたしは、未信者の賛美の楽曲の演奏や唱和を、神が肯定的に受け止めて下さることを確信しています。)つまり、どれほど上手に歌って見せても、喜びや自由、楽しさや明るさがなければ、真実の神賛美にはなりません。つまり、賛美は、信仰の喜び、救いの喜び、つまり・・・、福音の恵みに満たされること、ここにかかっています。決して技術に解決策があるわけではありません。

これらは、「明るい教会」と言い換えることもできるでしょう。福音による明るさです。そもそも、私どもの教会は、ローマ・カトリック教会に対して「福音主義教会」と自らを言いあらわしています。つまり、福音によって生かされる共同体と言う意味です。今年、皆さまと、いつものように基本の基本を大切にしてまいりましょう。これまでして来たことを、さらに掘り下げ、結実、つまり、上記目標の実現を求めてまいりたいと願います。

☆  私どもは教会として被災地ディアコニアを担い続けてまいりました。第8回も又、みなさまの祈りと奉仕なしには、成り立ちませんでした。改めて感謝申し上げます。特に、のぞみセンターにおける「忘年会」のためのケーキ、クッキー、お料理等は、スタッフの方々にも、13名のチームの背後にある当伝道所の存在に思いを馳せて頂けた事と思います。今回、現地で、痛切な思いで祈らされた一つのことがあります。ここには、記せないことでもありますが、大きな課題でした。しかし、私どもは、3つの仮設住宅の集会室で、御言葉を告げることが許されました。ある兄弟が「どストレートな伝道説教・・・」と表現されました。まっすぐに神の愛をお伝えさせていただきました。  ただし、それは、訪問と文通の積み重ね、つまり、絆が結ばれているからこそ、可能となることを記しておきたいと思います。震災直後、そのようなことは、してはならなかったはずですし、できるはずもなかったと思います。ディアコニアに生きる教会と伝道に生きる教会とは、同じ福音、御言葉によって形成されます。源はただお一人です。常に恐れるべきは、自己満足です。隣人となる教会として、しかも、主の御心に生きる教会として、次回訪問への祈りを始めましょう。