★ 年報が作成されました。報告に記したとおり、熟読をお願い致します。それは、会議時間短縮のために、必須のことです。数年前まで、私どもの会員総会は、1時間を越えることは、ありませんでした。しかし、当然、教会設立を目前にする教会として、そのようなわけには行きません。懐かしい「時代」と思います。ただし、冗長になっては困ります。ただし、その責めの大部分は、わたしにあったとも思います。今総会では、報告者は、原則、記載したものを読みあげません。「質疑応答」も、その場で思いついた・・・ということのないようにと願います。
☆ 久しぶりですが、政治規準の学びの続きです。
【第46条(牧師・協力牧師・宣教教師の任務) 牧師及び宣教教師の任務は、次のとおりである。
一 ゆだねられた群れのために、また群れと共に祈ること。
二 御言葉の朗読・解説・説教によって、群れを養うこと。
三 礼拝の賛美と祈祷を指導すること。
四 礼典を執行すること。
五 教理を教え、教会員及び求道者を教育すること。
六 伝道者として伝道に励み、伝道活動を指導すること。
七 教会員、特に、貧しい者・病める者・悩める者・臨終の床にある者を訪問すること。
2協力牧師は、牧師と協力して前項の任務を行う。
3牧師・協力牧帥は、治会長老と共に議会権能を行使する。協力牧師の各個教会における特別な任務については、各個教会が別に規程を設けることができる。
4宣教教師は、委託された法治権を、正しくかつ慎重に行使しなければならない。】
総会で、招聘委員会報告を受けます。招聘する牧師がこれらをどれほど十分に担えるのか、それが、教師を判定する客観的な規準と言えるでしょう。意外(?)にも、主イエスから委ねられた群れのため、群れと共に祈る牧師像が第一に挙げられています。預言者より祭司としての側面が強調されています。実際の改革派牧師像は、二項が特別に強調されています。今の神戸改革派神学校の目標が、よき説教者の養成に集中していることは、周知の事実です。そして、「基本的には」、まったくその通りでよいと思います。
さらに驚くべきことは、教師の任務の(三)として、主日礼拝式における「賛美の指導」が掲げられています。 2月には、声楽を学ぶ学生さんに講師として来て頂くことが委員会で決議されました。神戸の神学校や東京の研修所にこの面での教師がいらっしゃるとは、伺ったことがありませんし、そのような授業もないと思います。実は、私の卒業した神学校には、なんと、音楽の時間がありました・・・。その基本的な狙いは、大きな集会における聖歌隊として賛美奉仕の練習ということだったかと思います。「指揮法」というのでしょうか、指揮棒を振ら「せられる」授業もあり、冷や汗をかいた記憶があります。申し訳ないのですが、今のわたしには、ほとんど役にたっていません・・・。
★ 先週の説教で、「神のオーケストラ」として、教会を、オーケストラにたとえ、カンタービレする教会=明るく歌う教会のイメージを語りました。会員一人ひとりが異なる楽器であり、奏者です。一人ひとりは、それぞれに与えられた「楽譜」のパートを思う存分奏でます。そのためには、毎日の練習、つまり聖書を開く生活習慣をつくり、実践することが求められます。それは、他ならない主日礼拝式という本番、晴れ舞台を目指してのことです。指揮者は聖霊なる御神です。演奏すべき楽曲は、父なる神によって作曲され、楽譜は、御子イエス・キリストを通して、ご自身の教会に、特定のこの日本キリスト改革派教会 名古屋岩の上伝道所にも与えられます。それは聖書正典からの説き明かしである「説教」において示されます。
したがって、教会にとって、この楽譜を正確に奏で、広く響かせることこそ生命的に重要な使命であり責任です。教会がよく響く神のオーケストラ、ただ神の栄光をほめたたえることに集中する「神の国のオーケストラ」となりたいと思います。
賛美の指導・・・。基本的には、専門家や賜物を与えられた奉仕者におゆだねします。それは、教師の怠慢なのでしょうか。教師の賛美指導とは、(言い訳も含みますが・・・!?)福音を正しく解き明かすことにこそあると考えています。福音の喜び、明るさだけが、真実に教会をカンタービレさせることができると信じるからです。