過去の投稿2013年3月23日

3月17日

☆  私どもの教会は、3月のお誕生者が不思議に多いです。しかも、先週の朝と夜の祈祷会開催日と同日のお誕生者は三名おられます。二つの祈祷会で、お誕生会をしました。手作りのケーキを頂きながら、誕生者にケーキカット、サーブしていただきました。皆で誕生カードを贈ること、これは、奉仕者はもとより小さなカードを書いて下さる方々も、なかなか大変かもしれません。しかし、このことには、大きな意味があると思います。教会の交わり、それは、聖徒(キリスト者)の交わりのことです。本当に、私どもの生きる力、慰めです。しかし、そのような交わりを築くこと、育てること、そのためには、どれだけ真剣な祈りと信仰と知恵と愛が必要でしょうか。この父なる神が、キリストにおいて呼び出してくださり、聖霊によってつくり出し、育て、築かれるキリストの体である教会の交わりを、いよいよ大切にしてまいりましょう。

★  先週、イエズス会の創始者のイグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」について記しました。なんと、同じように現在、読んでおられる方がおられました。キリスト教は、大きく言えば東方と西方の伝統に分けることができます。私どもは、西方伝統です。ローマ・カトリック教会からの改革運動によって、新しく地上に組織した教会です。ローマの霊的修錬や伝統を、わざわざ、私どもが導入する必要は、本来は、ないと思います。改革者たちの遺産から学ぶことを急ぐべきです。しかし、繰り返しますが、「霊操」は、あなどれませんし、深いです。 ただし、現代人が、日常の生活をしながらこれをすることは、不可能です。しかし、そこに、信仰と霊性の危機もあることを深く思います。受難節のこのときこそ、霊的修錬の道を深める最良の時とも言えましょう。自分の生活ペースにふさわしい、神との交わり、主イエス・キリストとの交わりの楽しみを求め続けてまいりたいと思います。そこに、キリスト者の天を目指す幸いで喜びにあふれた旅路があります。

☆  本日、報告の折、伝道所委員が本の紹介をされます。献本されたものを、安く購入させていただき、それを設立の祝いのために用いるという主旨です。先週の浜松伝道所の週報で、望月先生が、教会員に読書を勧める文章を拝読しました。「昔の教会では本を読む人がたくさんいました。教会の中で、カルヴァンやカイパーの本を読んだりするグループ、バルトのものなどを分からないながらも牧師を頼りに読んだりする人たちがいました。分からないながらも背伸びするようにして、いろいろな本に取り組みました。わたしの青年期です。貧しかった人たちは、教会の図書が頼りでした。牧師や役員たちに「今度はこれを入れてくれ」と要求したものです。 ところがわたしが牧師になった頃、70年代ごろから、教会の様子が次第に変わってきました。落ち着いた読書会などから、しだいにキャンプやいろいろな集会を企画して、集会を楽しむようになってきました。講師からいろいろな知識を耳学問するような時代になったのです。自分で分厚い難解な本と取り組む人たちが少なくなってきたのです。~~浜松教会では、今年の予算に図書費として5万円を予算化してあります。~」 私どもの教会もまた、読書会の歴史なしに、こんにちはあり得ませんでした。私どもも、今一度、体勢を立て直して・・・と願っています。

★                    第12章 教会会議の法治権(議会権能)
第65条(法治権の性質)   教会会議の法治権は、全く霊的であって、いかなるときにも、
身体的あるいは社会的制裁を加えることはできない。
   ⇒キリスト教世界(かつてのヨーロッパ)において、教会は、そこに住むほとんどすべての人々がかかわる場所でした。今日で言えば、住民登録をするには、区役所に届けを出します。しかし、それが教会であると、考えてみると分かりやすくなると思います。嬰児に洗礼を施すのは、出席届けをも意味したのです。「教会の法」は、言わば、「民法」に、強い影響を与えたと言われます。そうすると、日本で言えば、かつて「村八分」という恐るべき言葉がありましたが、かつてのキリスト教世界では、教会の交わりから斥けられるとき、その地域社会で生きることそのものに困難を来してしまうことを意味したと思います。その意味で、この条項が、どれほど重要であるのかも、歴史的背景から見えて来るだろうと思います。

第66条(法治権の範囲)   教会は、聖書の至上の権威に基づき、キリストに仕え、
その御旨を宣言するためにのみ法治権を行使することができる。
 ⇒教会は、常に聖書の至上の権威に服します。これが、ローマ・カトリック教会と私どもの決定的かつ根本
的な違いです。教会は、神の言葉から離れれば、空虚です。しかし、御言葉に服す限り、権威があります。ローマ教会では、教皇がその聖座(エクス・カテドラ)から宣言すれば、新しい教理が生まれます・・・。