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4月7日

 
★  本日、2013年4月7日。1994年4月3日から、19年の年月が過ぎました。「ここに神の教会を、ここにキリストだけを主と告白する慰めの共同体を形成させて下さい。」との祈りをもとに、一年いちねん、一日いちにちを真剣に生きてまいりました。その教会形成の奉仕、戦いの日々の積み重ねが、現在の私どもの姿です。もとより、主の恵みのみによって今日の祝福された私どもの姿があります。しかし同時に、そこには教会員の奉仕、とりわけ責任をもって担った(十字架を担った)委員たちの歩み、祈りと奉仕なしにはありえません。

そこで、忘れてはならないことがあります。かつてのここで共に労した仲間たちのことです。19年は、キリストの教会の歴史から言えば、「瞬(まばた)き」程度のものかもしれません。しかし、各個教会の、しかも単立自給開拓伝道の出発という、ただでさへ困難な日本における開拓伝道を考えるとき、ある感慨を持つ長さであると思います。19年の歴史のすべてを生きた会員は、当然というより感謝なことに、少数です。19年の歩みの中で、転出された兄弟姉妹も少なくありません。既に、多くの兄弟姉妹には、面識のない方もいます。今朝、そして来主日は特に、あらためて教会の歴史とは、今ある会員だけではなく、先人たちの祈りと労苦の歴史の上にあることを覚えたいと思います。 

☆   次主日は、高蔵寺教会を先週まで牧会しておられた○○牧師をお招きして説教の奉仕を頂きます。先生は、初夏には、アメリカの神学校に留学のため、ご家族で旅立たれます。大きな決断であり、主の召しがそこにあることを思います。ひとりご自分のためではなく、日本キリスト改革派教会の将来のために、大きな決断だと考えています。そして、そのように期待しています。今回のようにではなく、もっとはやく先生に説教奉仕をお願いすべきだったとの後悔の念が強くあります。よき交わりと、何よりも祈りの課題として覚えたいと願っています。さて、今回、伝道所委員会は、特別に先生のために献金を捧げることを決議致しました。中部中会の教師への支援というだけではなく、それ以上の思いを込めてのことです。○○夫人は、私どもの教会の出身者です。単立時代のおよそ5年弱の歩みを共にしました。開拓二年目に洗礼を受け、その後は、まさに教会の柱となって奉仕に励まれました。教会にとって、「ひとりの重さ」がどれほどのものであるのかは、開拓伝道者には、ひとしお身にしみて分かるのではないかと思います。ビルの時代、単立時代は、牧師がひとりですべてを進めて行くあり方を回避し、将来の教会役員、教会人を育てる意味でも、伝道委員会という名称で、今の伝道所委員会に近い委員会を組織していました。そのメンバーの多くが20代の青年女子でした。今から思えば、考えられないような若さです。その中のひとりが○○姉でした。そして、結婚のために転出されたのです。牧師夫人。わたしの理解では、伝道献身者です。考えて見れば、私どもは、牧師夫を既に二人、生み出しています。そのような働き人に、特別の祈りが捧げられてしかるべきです。

★  先週は、宮城県を中心に被災地支援を震災後ただちに立ちあげられ、現在もよい支援を継続しておられる「東北ヘルプ」さんを、大会執事活動委員会として表敬訪問しました。特に、放射線計量のプロジェクトに強い印象を持ちました。今なお、福島の放射線は、高いままです。政府は、浪江町
エレミヤ書第8章11節「彼らは、おとめなるわが民の破滅を/手軽に治療して/平和がないのに「平和、平和」と言う。」そして、エゼキエル書第13章10節以下に、偽預言者への神の警告が記されています。 「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは、はがれ落ちる』と。豪雨が襲えば、雹よ、お前たちも石のように落ちてくるし、暴風も突如として起こる。」安全な場所ではないのに、「安全、安全」と政府は、声を出しています。そして、放射線の危険を棚上げにして、一時帰還の範囲をどんどん広げています。まるで、被爆による病気を、このような自己責任によって隠ぺいしようとしているかのようです。フクシマの子どもたちを何とかしなければ・・・。強く思わされて、名古屋に戻ってまいりました。

☆  先週、仙台への出張。無事に守られました。先回は、右ふくらはぎの肉離れを、帰路に再発させ、あれ以来大変な目に遭いました。たとい飛行機に乗り遅れようとも、慎重を帰して歩きました。健康のこと、体調のこと、今回、ほんとうに若くはないことを、身にしみて覚えさせられました。主のために、健康管理、「霊操」とともに最低限の「体操」を、右脚と相談しながら、少しづつ始めたいと思います。

★  子どもの教会は、本日から新年度が始まります。契約の子どもたちの信仰告白。教会と家庭にとって、 これ以上の特権と責任(課題)はありません。家庭での信仰教育を「支える」子どもの教会、そして教会です。