「あなたも葬られた!」
2013年7月28日
マタイによる福音書第27章57~66節②
【夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。】
さて、今朝は、62節以下を中心に学んで礼拝を捧げます。こう始まります。「明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。」祭司長とファリサイ派の人々が、ピラトのもとに集まったのは、何曜日だったとマタイによる福音書は告げるのでしょうか。「明くる日」です。「準備の日の翌日」とも言い換えています。準備の日とは、何の準備の日でしょうか。礼拝準備です。その日は、金曜日でした。そしてその明くる日とは、実に安息日のことです。そうです。その日こそ神を礼拝し、神を神とする、神のために聖別するための特別の日なのです。
ここで、先週のおさらいをしたいと思います。ユダヤ社会の指導者、権力者のひとりであったアリマタヤのヨセフと女性の弟子たちは、あの日、主イエスのご遺体を大急ぎで葬りました。万が一にもご遺体を奪われることのないように、必死になって大きな石を転がしてふたをしました。それを見届けるや否や、ヨセフは、大急ぎで自分の家に戻って行きました。何故、それほどまでに急ぐ必要があったのでしょうか。理由は明らかです。その日が金曜日だったからです。日が沈めば土曜日、つまり安息日が始まってしまうからです。彼が、どれほど旧約の教え、安息日の掟を重んじていたのかということがよく分かります。
ところがなんと祭司長とファリサイ派の人々が集まったのは、実に、安息日なのです。驚くべきことです。そもそも彼らが、主イエスを殺す口実としたのは、主イエスが、安息日に病人を癒したからでした。労働したからなのです。ところがその本人たちこそ、安息日を完全に破っているわけです。既にマタイによる福音書は、第27章18節で、こう告げています。「 ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。」まさに、彼らが主イエスを殺したのは、人間的な「妬み」でしかなかったことが明らかにされます。私どもの周りでも、正義の戦争だとか神の名による憤りだとか、さまざまなもっともらしい理由をつけて権力者は、自分に都合よく行動しています。昔も今も変わりがない権力者の現実を見抜かなければならないでしょう。
余談になるかもしれませんが、マタイは、安息日とはっきり言いません。この点、どこか奥歯にものが挟まったような言い方をしています。もっとはっきりと指摘しても良いのではないかと思うのです。彼らの判決がいかにでたらめで、単なる妬みでしかなかったということをもっと強く主張しても良いのではないかと思うのです。何故、聖書は、マタイによる福音書は、婉曲に表現するのでしょうか。その理由は、聖書は、そしてマタイは、ただ単に当時の権力者への批判、主イエスを殺した人々への憎しみだとか憾みだとか、責任追及などには、関心がないからです。これは、とても重要なことです。その後の教会の誤った歴史の中で、ユダヤ人への迫害が起こりました。聖書、福音書を正しく読めば、そのような間違った方向性に進むはずなないのです。ただし、神の教会じしんが、神とこの世と対して犯してしまった罪への自己批判は、まさに絶対に必要です。教会が自己批判をやめれば、それは、この世を見張り、この世の過ちを警告する力を自ら失わざるを得ないからです。
もとに戻ります。さて、ユダヤの権力者たちは、敵であるはずのローマ総督に、頭を下げます。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」この言葉にもまた、驚かされます。何と、弟子たちですら忘れていた三日後に復活するという決定的に重要な救いの約束の御言葉を、彼らの方が覚えていたわけです。
このようなマタイによる福音書による状況描写で示される真理とは、何でしょうか。それは、彼らが、主イエスの死後なおその影響力について、非常な恐れ、恐怖心を抱いていたということです。つまり、主イエスは、殺された後もなお、敵対者たちに大変なプレッシャーを与えているという事実です。そこには、主イエスを殺し、弟子たちを蹴散らすことに成功したはずの権力者、勝利者としての姿はありません。何故、そうなったのでしょうか。その答えもまた、明白だと思います。つまり、彼らは、自分たちがしたことを、神の御名、神の正義の旗印にしていますが、良心の呵責がなお残っているということです。それにもまさって、イエスさまの力、神の裁きを深いところで、恐れ戦いているのです。
さて、ピラトは、彼らの申し出に、怒り心頭の思いだったと思います。でうから、お前たちのいいなりになど、なるものかと「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」と言い捨てます。「そこで、彼らは行って墓の石に封印をし」自分たちの「番兵をお」きました。こうして、主イエスの墓は、アリマタヤのヨセフが、「墓の入り口に大きな石を転がしておい」ただけではなく、ユダヤ指導者たちの手によっても、番兵たちの見張りと大きな石に封印までして、万が一でも誰かが少しでも動かすことができないように厳重なチェックを施したのです。つまり、完全に死んだことと、主イエスのご復活が、人間の「やらせ」とか「いつわり」ではないことを、明瞭にさせたのです。
これらは、すべての人間の企ての背後に、父なる神のち密なご計画が進行しています。御子が完全に死んで、葬られた事実が、何重にも証されるわけです。神の勝利と栄光を鮮やかに示すための道具として用いられたのです。ここにも、神の完璧なご支配は明らかになっているはずです。
先週に続いて、もっとも大切なことをここで確認しましょう。つまり、主イエスの葬りの事実と私どもの救いとの関係について、確認しましょう。私どもが毎週、声を揃えて告白しているニカヤ信条に、こうあります。「苦しみを受け、葬られ、聖書にしたがって三日目に甦り」です。もっとも有名なもう一つの基本信条である「使徒信条」には、こうあります。「主は死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちより甦り、天に昇り」と告白されます。つまり、ニカヤ信条には、使徒信条にある「陰府にくだり」の言葉がありません。それだけに、この「陰府にくだり」の言葉に注目したいのです。つまり、それは、死んだ後の主イエスのお働きについての告白です。
私どもがもっと深く学んだらよい信仰問答に、ハイデルベルク信仰問答があります。今朝、この「陰府にくだり」の一語について、まさに、ハイデルベルク信仰問44がまっすぐに福音を説き明かしていますから、短くしてご紹介します。
問44は、「葬られ」の後に何故、「陰府にくだり」と続くのですかと問います。答え、「それは、わたしがもっとも激しい試みの時にも、こう確信するため。できるためです。わたしを、地獄のような不安と苦しみから解放して下さったのだと確信するためです。」
主イエスさまは、あの十字架の上で、まさに地獄の苦しみを味わい始めておられました。いったい、私どもは、地獄というものをどこで見るか、知ることができるのでしょうか。確かに、空襲で一瞬に死んで行った人々、逃げまどいながら死んで行った人々、放射線に犯され、じわじわと死んでしまう状態、それも地獄絵図です。しかし、それらと比べられない地獄の苦しみ、本当の地獄の苦しみの場所があるのです。それが、十字架の上、イエスさまの十字架です。あの十字架の上で、「わが神わが神、何故、わたしをお見捨てになられたのですか」と叫ばれた恐るべき魂の苦しみこそが、地獄の苦しみです。さらにこの地獄の苦しみは、葬られた後、まさに陰府でも続いたのです。主イエスは、完全な孤独の中で、あの三日間、恐るべき苦しみを味わわれました。陰府にくだるとは、まさに見守る仲間は誰ひとりもおりません。何よりも、永遠の愛の交わりのなかで存在しておられた父なる神が不在です。父なる神とのいのちの交わりをも失ったのです。それが、地獄。それが陰府に他なりません。しかし、イエスさまは、陰府に落ちて下さったのです。
いったいそれが、私どもにとってどのような利益をもたらすのでしょうか。第一に、イエスさまが陰府に降って下さった以上、もう、私どもは地獄に落ちないということです。陰府に落ちないということです。そんなことがあれば、イエスさまの陰府の御苦しみが無駄になるからです。それが、どんなにすごいことなのか、これは、救われた人以外には、決して分かりません。イエスさまと父なる神の完全な愛を知った人が、それを失うということを初めて想像できます。また、こうも想像できます。イエスさまを信じることがなかった日々がどれほど悲惨なものかを知った人だけが、地獄とは何かを知るのです。だから、イエスさまと父なる神さまに愛されるということがどれほどの幸せであるかをかみしめられるわけです。
第二に、イエスさまが陰府に降られたことで、今味わっている私どもの苦しみが、地獄であるかのようなつらさや悲しみであっても、神の愛どころかその存在すらも隠されてしまうかのような厳しい試練、不幸のどん底に陥ったとしても、そこでなお信仰の心くず折れず、希望をもってそこから立ち上がることができる根拠が与えられたということです。私どもは、もはや決して、神に捨てられ、地獄へと落とされることはあり得ないことを知ったからです。主イエスが私どもの身代わりになって葬られ、地獄へと降りて行かれ、永遠の滅びの悲惨を味わいつくされた以上、この世で耐えられない苦しみはなくなったということです。もはや決して、イエスさまと父なる神が、わたしから離れ、わたしが孤独になってしまうことは、あり得ないということを、ここで確認できるのです。確信させていただけるのです。
主イエスは、今朝、説得されます。「わたしはあなたに代わって神の怒り、神の呪いとしての死、永遠の死を死にました。だから、あなたはもう、この死を死ぬことがなくなったのです。」「わたしはあなたに代わって葬られました。それは、あなたも既に、葬られてしまったということです。あなたも私と共に葬られたのです。後に残っているのは、ただ新しいいのちに生き変えることだけです。あなた自身のために、わたしを信じてよいのだ。信じなさい。」
来週は、いよいよ第10回のディアコニアにまいります。その準備の中で、わたしは、あるキリスト者の存在を知りました。斎藤宗次郎という方です。この人は、宮沢賢治に深い影響を与えた人として、注目され始めています。あの有名な「雨ニモ負ケズ」は、この人をモデルにしてつくられたのではないかという有力な説があるからです。彼は、もともと禅寺の息子でしたが、やがて聖書を読み、内村鑑三の著作を読んで、キリスト者となります。花巻小学校の教師をしていましたが、キリスト者として公然と証をしたことが原因で教職を追放されてしまいます。さらに、悲劇的なことは、9歳になるお嬢さんが「ヤソの娘」と迫害され、学校の友達にお腹を蹴られたことがもとで、亡くなってしまうのです。人の親であればその忍耐、苦しみ、悲しさは限界でしょう。我が子をいじめ、死に至らしめた子どもを捜し出し、また、それを容認した学校側とも、今で言えば、訴訟を起こして戦っても、当然だと理解できると思います。また、それで信仰を貫くことができなくなったとしてもなお同情されてしかるべきでしょう。ところが、彼は、この過酷な現実をそのまま受け入れて行きます。職を失って家族が路頭に迷わないように、新聞配達を生業にします。彼は、毎日、花巻市内40キロを配達しました。しかも、十歩走っては立ち止まり走っては立ち止まりしながら、一軒一軒の家の祝福を神に祈ったというのです。彼は、徹底して主イエスにならおうとしたのです。罵られても罵り返そうとしなかったのです。主イエスから教えられた、御言葉に従おうとしたわけです。 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」敵を赦して愛し、彼らのために祈り続けたのです。
「雨ニモ負ケズ」は、宮沢賢治の晩年の作品です。死を意識して、この詩を遺したのです。「サウイフモノニワタシハナリタイ」これは、強烈な憧れです。裏返せば、自分はこのような人にはなれない・・・という、悲痛な叫びとして解釈できます。そこに、正直な賢治の姿、真実の姿が現れているように思います。確かに賢治は、その作品で有名になりました。斎藤宗次郎は、キリスト者のなかでさえ、まだ余り知られていないと思います。しかし、彼の先生であった内村鑑三の言葉で言えば、彼の生涯こそ、「勇ましく高尚な生涯」であって、後世の人間に遺せる最大の遺産だと思います。
さて、紹介の言葉が長くなりましたが、「雨ニモ負ケズ」の中で、わたしが昔からもっとも気になっていた言葉があります。「南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテ コハガラナクテモイイトイヒ」という個所です。私は、かつて、この言葉を軸に、伝道説教をしたことがあります。私は、そのときの伝道説教で、こう申しました。「キリスト者でない方が、このように言うことは、欺瞞である」今もそう、思っています。しかし、実は賢治は、宗次郎の生活を思い起こし、彼に憧れて、ここで謳っているのだと思うのです。そうであれば、話はまったく別であります。
今朝の説教で明らかになること、それは、死にそうな人に、「恐がらなくてもよいのですよ」と言える人は、その人自身が、キリストの十字架の死と葬りの事実とその意味を知っているからです。つまり、「怖がらなくてもよい」と言う人は、どうして怖がらなくてもよいのか、その理由をちゃんと知らせてあげる必要と責任があるはずです。おそらく斎藤宗次郎は、死にそうな人のところに行ったとき、イエスさまの十字架の死と葬り、ご復活の救いの福音を告げたはずです。「あなたの代わりに、あなたの本当の死を死んで、陰府にくだってくださった救い主がいらっしゃいます。そのキリストのお名前は、イエスです。イエスさまこそキリストです。あなたの主、あなたの神です。あなたが、今信じれば、まったく死ぬことを怖がる必要はなくなります。怖がらなくとも良いのです。イエスさまと一言、呼び返せば、大丈夫です。」
ついでのことですが、彼は、どうして、死にそうな人のところに行けたのだろうかと考えました。そして今回、なるほどと納得しました。それは彼が新聞配達を生業にしていたからです。彼は、それで、配達する一軒一軒の家庭のために祈っていたからです。
アリマタヤのヨセフも、そして斎藤宗次郎も、十字架の主イエスを仰ぎ見て、救われています。宗次郎は、小学校教師の地位と職場を失いました。迫害のなかで、娘を亡くしました。ヨセフもまた、宗次郎とは比べられないほどの高い地位と経済生活に恵まれていましたが、それをすべて奪われたことでしょう。しかし、主イエスが神の子であって、自分の救いのために死んで下さったことを知った以上、自分の生きる道は定まったのです。地位と経済的安定に未練たらたらではなかったでしょう。それらが、もはやパウロのように「ちりあくた」のように思わされたのだと思います。
「雨ニモ負ケズ」の中に、「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」という言葉があります。宗次郎もヨセフも、おそらくそのような「デクノボー」としての生き方へと導かれたのだと思います。デクノボーとは、賢治なりの表現です。私なりの解釈をすれば「愚直な人」「心の命じるままにまっすぐにモノ申す人」と言うことだと思います。聖書的な表現では、「忠実な人」となるかと思います。主に忠実に生きる人は、一般の人の目には、もしかするとデクノボーと見られ、呼ばれるかもしれません。しかし宮沢賢治は、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と言うのです。私どももまた、アリマタヤのヨセフや斎藤宗次郎のようになりたいと思います。そしてそれは、単なる人間的な憧れでは、決して不可能なことを、私どもは知っているはずです。さらに、はっきりと申し上げなければなりません。アリマタヤのヨセフでも斎藤宗次郎でも、私どもの本来の師とはなりません。本当に師と呼べるお方は、ただおひとり。人となられたイエスさまでいらっしゃいます。彼らの良いところを模範としましょう。しかし、私どもが、模範とすべきは、彼らが師でいらっしゃる主イエスにならって、忠実になったことです。今朝、ほんとうにそう言う人間になりたいと、願うべきは、イエスさまです。だからそう願う人は、聖霊なる神の助けを祈り求め、ここで聖霊を注がれる以外にありません。
こうして、アリマタヤのヨセフをはじめ、内村鑑三や斎藤宗次郎のように、私どもも、「南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ」と、十字架の主、葬られた主の救いの御業の意味を伝え、証する者として用いて頂きたいのです。教会のまわりには多くの死にそうな人がたくさんおられます。「南」に愛と関心を注ぎ、南に進みましょう。そして、もう怖がらなくても良いのですと、十字架の福音を告げて歩み続けてまいりましょう。
祈祷
私どもの死、神の刑罰としての死を、御子の十字架の死によって死なせ、葬られた父なる御神、その犠牲の死によって私どもに罪の赦しを与え、永遠の命をあたえ、死を乗り越える希望と喜びを確かなものとして下さいました救いの御業を心から感謝致します。あなたは、御子の苦しみによって、私どもの地上における苦しみを決して耐えがたいものとはされず、こらえて生きる力と希望を与えて、慰めて下さいます。どうぞ、死の恐怖の奴隷となっている大勢の人々がいます。私どもを用いて下さい。あのヨセフのように、信仰と感謝を明瞭にして、常にあなたと御子の御傍で、生きるもの、主イエスの弟子としての歩みを深めさせて下さい。