過去の投稿2013年7月29日

7月28日

☆  先週の主日の夜。選挙速報は見ない、聞かないで過ごそうと考えていました。しかし、やはり、そのようにもならず、自民党の圧勝ぶりを見せつけられました。その意味するところ、その近未来を思い、いよいよ「迫害」と「抵抗」の覚悟を深めさせられました。「少し、考え過ぎでは・・・?」もし、そのように思われるなら、それは、残念ながら甘い歴史認識だ思います。今や、日本の諸教会は、はっきりと「信仰告白的事態」(=この言葉そのものを、私どもの教会も、繰り返し学ぶ必要があることを、自覚しつつあります。すでに20年近くの歩みを重ねている教会。うっかりすると岩の上の兄弟姉妹たちは、皆、分かっている・・・と、現状認識を過つ危険性を思います。)にあると私は考えています。日本にある教会の戦いの使命と責任とは、今や、日本の市民のためだけではなく、特に、アジアの市民、そして世界の市民のためでもあります。日本国憲法を【破棄】する自民党憲法草案が成立すれば、まさに「新しい大日本帝国」が知らない内に始まってしまうことになるからです。今日の読書会で、時間がゆるされれば皆さまのご意見を伺いたいと思います。(8月の読書会は、自民党草案を学びます)その意味でも、読書会は、私どもの教会形成の大きな力です。皆で歩調を合わせる契機が与えられる集いだからです。

★   今週もパソコンに向き合って、入力に励む日々となり、あっという間に土曜日の朝となっています。参院選後の状況を受けて、会場となった八事伝道所に、入りきるのだろうかと案じながら駆けつけました。しかし、その危惧は空振りとなって、反対に、いよいよ中部中会の現実を危惧することとなりました。何よりも、私どもの教会からもたったの5名の参加。これは、わたしの責任でもあると思います。

☆   「安倍内閣とわたしたちの課題―共なる戦いを築こうー」という主題のもと、自民党憲法草案の課題等を中心にして、国会をつねに見張っている西川引退長老の講演を伺いました。西川長老は、孤独な、ひとりの戦いにしないで、「共に戦おう、そのような共同体を築こう」との切実な願いが込められていることを思いつつ、伺っていました。私ども名古屋岩の上教会は、最初からはっきりしています。政府が、戦争につながる行動や信教の自由、神からあたえられた人間の尊厳(人権)を損なうような「過ち」を犯そうとするとき、「教会共同体として発言と抵抗をする」ということです。キリスト者個人で、市民運動を組織して・・・、ではありません!この点で、日本キリスト改革派教会の内部に残念ながら、一部、強力な反対意見があります。そのなかで、西川長老の苦悩を思うのは、わたしだけではないと思います。「西川さん、がんばってください。お祈りしていますよ。」もとより、お祈りすることは、必要で、すばらしいことです。しかし、心の中で、「けれどもわたしは、具体的に協力や協働はできませんけど・・・。」というものであれば、それこそが、現代の日本の多くの市民の問題と共通しているのではないでしょうか。棄権した人、自分の目先のお金儲けや安定を望んだ多くの人たち。「自分と近しい人の幸福、利得しか考えられない、考えようとしない」こと、それが、具体的な罪の典型ではないでしょうか。結局、ひとりひとりの良心を研ぎ澄ますしか、方法はないのだと思います。厳しく申しますが、単に、キリスト者を自称している人が、良心が生き返った人になるとは限りません。御言葉を聴いて祈ることは、良心を神に磨いて頂くためです。

★   わたしは、投票後の夜、娘から、「三宅洋平」というミュージシャンが立候補して、話題になっていると教えられました。「もっと早く教えなさい!」。彼女は、「もっと早く教えて!(比例区選挙の方法(議員個人への投票)」と返して来ました。わたしは、励まされました。もっと正直に申します。わたしの課題すらつきつけられもしました。彼は、「戦争は古い。そんな時代は終わった」と、呼びかけました。それに応答して、無名の彼に、17万6970人もの、おそらく極めて意識の高い人たちが投票しました。彼が発信したメッセージは、本当は、ずっと古い(歴史がある)ことなのです。主イエスは、「神の国、つまりあたらしい時代と世界が、ここにもうすでに始まった」と福音を証しました。最初の教会はこれを知ったのです。私どもが今問われるのは、御言葉を聴いて理解して、「イエスさま、がんばれ!」でもなく、いわんや「イエスさま、おかわいそうに!」等でもなく、「主イエスと共に生きること」へと今朝も立ち上がることです。主イエスは、「わたしが死んだのは、あなたが死んだことなのだ、おめでとう!あなたのことなのだ!」と告げられます。パウロは、応えます。「イエスさまの十字架とご復活は、わたしとあなたが、新しい命に生き変えるためですよ。」今朝の礼拝式で、主イエスと共に立ち上がる人が起こされること。一人も欠けることなく!牧師は今朝も本気で、信じて挑戦します・・・。