過去の投稿2013年8月7日

8月4日

☆  先週の読書会は、「韓日協力開拓伝道」について、その課題を共有できたことと思います。ひとりの兄弟が、このような主旨を発言されました。「テキストをひとりで読んだときには、日本伝道が進展せず、むしろ後退している現実を、韓国の牧師や教会のマンパワーで打開するというのは、安易ではないか、違うのではないかと思われた」。私も、まったく同じ思いを抱きます。しかし、野寺牧師の講演の真意は、そこにありません。殉教者・朱基徹牧師のように神を恐れ、徹底して御言葉に忠実に生きる伝統こそ、本来の「朝鮮」キリスト教会のものであって、アメリカ型の教会成長運動に影響された現在の多くの韓国教会は違うという認識を支持したいと思います。そして、私どもが取り組むのは、そのような韓日協力開拓伝道に「しなければならない」責務があるということです。そうでなければ、安易どころか、わたしの予想では、日本の教会の息の根を止めかねないように働く危険性すらあると思います。シカシ、韓国教会、いえ、きちんとこう言った方が正確です、高神派のすぐれた霊性、信仰の姿勢を、日本キリスト改革派教会の牧師と信徒が学び、自己批判をし、身に着けるなら、また、日本伝道の困難さを韓国教会が知って下さり、そして、その正しい克服の道のりを、かつての加害者と被害者とが心一つに祈り、労するなら、計り知れない霊的な祝福と実りを結ぶことを信じます。

★   今日から、フクシマにまいります。東日本大震災の被災からの復興は、なおはるか遠い現実があります。しかし、フクシマの課題は、それとは比べられない性質と本質を、日本社会につきつけています。福島第一原子力発電所の事故は、決して!!「収束」などしていません。放射線に汚染された地下水の海への流出を、今頃、公表しています。故郷を完全に奪われた人々、放射線のリスクを覚悟で生きることを余儀なくされている人々。私どものちっぽけな奉仕。しかし、皆さんにお会いすることに意味があるはずです。彼らに代わって、彼らのために、そこで祈るだけでも、意味があるはずです。

☆   先週は、副総理の麻生氏の「ナチスのやり方から憲法改正の方法を学べ」という発言が国際社会から日本の右傾化への警戒と歴史認識を無視するあり方への批判が湧きおこりました。憲法改正を推進する団体、つまり、彼らの身内の団体における発言でした。政府中枢の本音が「ポロリ」と出たわけです。かつて森首相も身内の団体で、「日本は天皇中心の神の国であるのだぞ。これを取り戻すことが自分たちの使命・・・」という主旨の発言をし、辞任に追い込まれました。本質は同じだと思います。残念ながら今、辞任に追い込む勢力がありません。
    さて、今回の件で、改めて戦後の日本の根本問題が、明瞭にさせられていると思います。一言で言えば、敗戦に向き合わなかった、私どもの言葉で言えば、戦争責任、戦後責任への自覚と悔い改めの欠如です。おそらくは、「神なき人間」の悲惨のあらわれだと思います。(つまりどれほどの罪でも悔い改めれば赦され、新生できるという福音を知らない人間は、自己肯定、つまり自分で自分に、「これで良いのだ」と言い聞かせて進む以外に生きようがなくなってしまいやすいからだと思います。もとより、麻生氏は、カトリックを公言していらっしゃるのですが・・・)敗戦したドイツは、今や、EUの中心(経済ばかりか精神的にも)と言えると思います。彼らは、徹底的にナチスドイツ、つまり、「自分たち」の神と人への罪と向き合いました。つまり、歴史と誠実に向き合ったのです。教会じしんの罪責への真剣な取り組みが、その精神的土台にありました。しかし、日本・・・。(日本の教会・・・。)まさに、敗戦を機に、「新日本」を建設するポーズだけをして、朝鮮戦争を契機に、アメリカの言いなり(同時に、許諾を受け)になって、「旧日本」を温存できると考えた自民党(政権中枢)は全身全霊をもって温存に取り組み続けたのです。しかも、国民の多くは、自民党のその本質を云々するより、経済成長のために、自民党を支持し続けたのだと思います。今回の選挙もまた、多くの国民(しかし、過半数などではありません!)が同じ選択(投票)をしたのだと思います。
     私どもの教会は、「教会の戦争責任(戦後責任)」つまり、正しい歴史認識に「こだわり」続けて学んでまいりました。何故なら、そこからこそ、政府のまったくでたらめな歴史認識に対抗する視点を据えることができるからです。麻生氏は、自民党憲法草案は、「推進本部は、喧々諤々の議論をした。だから、国民は静かにこれを受け入れたらよい」と言うのです。「否!」です。今からでも、遅くありません。ひろく国民が「喧々諤々」の議論と憲法学習をすべきです。そして、今こそ、日本国憲法を守り、これを生かす政治を、つまり、新日本の再建に取り組まなければならないと思います。