☆ 先の信徒研修会で、神戸改革派神学校の袴田康裕教授が長老主義について、私どもの基本にすべきよき講演を頂きました。設立直前の私どものためになされたようなものであったようにも思わされました。(先生には、個人的に、原稿を頂けるようにお願いし、快諾を頂いています。)同時に、現在の中部中会の役員(教師、長老、執事《伝道所委員》) のためにも、決定的に重要なものでした。私は、中会加入のための試験として提出した、二つの小論のなかで、長老主義教会とは何かについて、不明瞭なまま歩んで来たのではないかと、痛烈な批判を記しました。あれから、15年余・・・。事態は、一向に変わっていないと思います。(わたし自身の責任を棚上げにすることは、不誠実です!)このまま放置されて行くのか・・・。袴田先生の講演を、真剣に学び、熟議し、これを「実践」!!することが必要です。先生は、結びで、キリスト者ではない渡辺一夫氏の議論を紹介されました。わたしは、そこに、私どもの教会の議論の未熟、神学的な力の未熟さへの痛烈な批判を、聞きとりました。原稿を頂いたなら、ただちに印刷して、皆さまにお配りします。共に学びましょう。
★ のぞみセンターの浜田姉からの「活動報告」を配布致しました。本当に、よきディアコニアを担っておられることが伝わってきます。地域の方との深い交流がなされています。被災者の方々の社会的、経済的、精神的な困窮は、なお私どもの「支援」が必須だと思います。しかし、教会としての支援は、ディアコニアです。 確かに、私どものディアコニアは、「上から下に助けの手を差し伸べる」という側面を、決して否定できません。使徒ペトロが、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」「そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。」と使徒言行録第3章にあります。しかし、同時に、被災者の皆さんから教えられ、励まされ、変えられる事ごともたくさんあるはずです。一言でいえば、「隣人となる」ことです。「キリスト者として」隣人となる、「共に生きる」ところで、ディアコニアと伝道は、別の固有の働きでありながらも、一つになって行くことを思います。報告文にあるように、未信者の方から、「祈ってけれ・・・」と言われるキリスト者、教会になりたい・・・。そう、心の底から思います。そして、被災地で、ディアコニアに勤しむ諸教会、奉仕者のために、いよいよ祈りたいと思います。
☆ 「ディアコニアに生きる教会」これは、私どもが、掲げ続ける目標です。その後、3:11が起こりました。 大会では、70周年宣言が、憲法第一委員会によって準備されています。委員会では、新しい教会の姿を提示したいという意図がおありのようです。今年の役員修養会では、「母なる教会」という表現への批判の意見が相次ぎ、心底、驚きました。実は、教育委員会で準備している新しい子どもと大人のためのカテキズムの教会論には、「母なる教会」があります。これは、聖書的かつカルヴァンのキリスト教綱要にも登場する、伝統的な教会に対する教理的表現です。さて、しかし、わたし自身は、宣言草案を見る限り、70周年の時を刻む教会として、まったくもの足らなさを覚えさせられます。どうして、この経験(現在進行形ですから、これを言語化、神学的な表現で捉えることは、困難なことではありますが・・・)から、突きつけられた私どもの教会の新しい悔い改めに生きることを深めないのかが、大変、気がかりです。被災地でディアコニアを担うキリスト者や教会の実践から学び、改革教会として「古くて新しい」、まさに福音のいのちを正しく豊かに生きるための姿としての教会像と信徒像、教会の倫理を一般の人々にも訴える(つまり普遍的真理の提示)文章が紡ぎだされることを、願います。「草案」は、大会議案書にあります。
★ 「信じてなお疑う」先週の説教をいつものように、祈祷会で掘りさげて、おさらいしました。信じてなお疑うものをも、赦し、信頼し、変容して使徒として用いて下さる主の恵みを語ったつもりです。しかし、もっとはっきりと、「信じてなお疑う」のは、一部のキリスト者のことなどではなく、キリスト者のあるがままの姿に他ならないことを、語りきれてなかったと反省させられながらの、学びでした。祈祷会に励みましょう。教会に託された執り成しの祈りという奉仕は、重労働ですが、皆で祈りのスクラムを組んで、御国の拡大を祈り求めましょう。
☆ 報告にありますように、「世の光となる教会をめざして」を読みました。わたし以外の特に、牧師たちの講演は、すばらしいもので、励まされます。是非とも、お読みください。高額ですが、全額、教会への献金としています。「平和をつくる」ことが、教会の地上における存在理由です。それは、特に伝道によって担われます。そして、神の国の伝道は、この世界、国家の政治にも必ず、深く関わるものとなります。