過去の投稿2013年10月14日

10月13日

☆   袴田先生の講演記録をお配りしました。これは、11月の全体研修会のテキストとなります。どうぞ、ゆっくりでよいですから、一度、目を通して下さい。私どものために、原稿をくださった先生の主にある友情に感謝致します。   

★   先週の説教には、「神を小さくするな」という副題を付けました。ご復活によって、天と地の一切の権能を授けられた主イエス・キリストを、聖書によって知るとき、私どもは、神の恵みの広さ、深さ、長さ、高さを知り、驚かされます。そして、この驚かされる経験は、生涯、続き、深められてまいります。その過程が、信仰の歩みとなります。神を正しく知るところで、信仰生活はいよいよ喜びと恵みに満たされ、歩みは確かなものとされます。また、使徒パウロは、エフェソの信徒への手紙第1章における祈りにおいて、「イエスさまの神、父なる神がキリスト者に聖霊を注ぎ、心の目を開いて、神を深く知ることができるようにしてください」との祈りを捧げています。私どもの信仰の課題は、畢竟、神を正しく深く知ることに尽きます。ここでの「知る」とは、もとより単なる知的な理解のことではなく、「交わり」のことです。そして、神を知る、究極の場所とは、主の日の礼拝式に他なりませんから、いよいよ、主日を大切に、礼拝式に集中する信仰の姿勢の基礎を固めてまいりたいと願います。

☆   祈祷会では、改訂された「礼拝指針」を学んでいます。礼拝式における聖書朗読について、学びました。ここで言われているのは、説教のテキストとしての聖書朗読ではありません。特別のプログラムのことです。礼拝の歴史において、「聖書朗読」は重んじられてきました。何故なら、今日のように書物としての聖書を、個々人が誰でも気軽に所有できるようになったのは、まだまだ、最近のことだからです。それまで、神の言葉を聞くために、教会の集会、礼拝式に出席する以外にありませんでした。(しかも、教会の改革運動が起こる前までは、ラテン語訳聖書でしたから、意味さへ分かりませんでした。)書かれた神の御言葉である聖書とは、本来、会衆と共に聴かれる言葉として、理解されてきたわけです。神の言葉の本質は、語られ、聴かれるところにあることを、忘れてはならないと思います。今朝も、聖書の「音読」ではなく、「朗読」によって、私どもは、日本語で、神の御言葉を聴きます。大宣教命令を聴きます。聖書に目を落とすことを、止めて、聴くことを大切にする経験をお持ち下さい。(もとより、新しい方は、聖書を読みながら、聴かれることをお続け下さい。)そして、聖書朗読がそうであれば、説教は、まさに聴くことです。(説教原稿は、そもそも、①後で、繰り返し読んでいただくことのため、②説教を聴けない、ナースリー当番の方のため。③ナースリー関係で、出入りせざるを得ない方々の利便のために整えたものです。)

★  「賛美」についても、学びました。先週は第一主日として、讃美歌練習を行いました。私どもにとって、主日礼拝式は、「伝道」の最大の場でもあると、考えています。父と子と聖霊なる神との出会いの場である、この時こそ、キリスト者にとっても未信者の方がたにとっても、もっとも大切な集会です。そうであれば、説教はもとより、いえむしろ、新しい方にとって最も印象を左右するのは、会衆の参加姿勢であるように経験上思います。そして、それは、おそらく会衆賛美の声や姿勢にあるように思います。心を高く挙げることが、信仰の、礼拝の姿勢であれば、「体勢」もまた、頭を挙げて、(讃美歌集を少し高くもって)、全身で歌うことができたら・・・と思います。ただし、比較すれば、皆さまの賛美の声は、とても豊かで、すばらしいと思っています。

☆   仮設住宅で、皆さんが喜んで下さることの一つは、「歌」です。特に、皆で歌える歌は、コミュニティー、交わりを深めるために、大変な力があります。私どもは、これまで愛知県立芸術大学の学生の協力を得て、ディアコニアを展開して来ましたが、もし、そこで私どもの教会で「聖歌隊」が組織され、派遣されたら・・・と思うと、ほんとうにワクワクします。そしてそれは、この町の至るところでも、奉仕の場が与えられるはずです。クリスマスのキャロリングを、地域の「施設」でなす・・・。どうぞ、「聖歌隊」の可能性を、皆さんで育てましょう。

★   日本キリスト改革派教会のひとりの長老の弁護士からの一斉送信で、日本弁護士連合会の4つの決議を知りました。10月4日のものです。「①福島第一原子力発電所事故被害の完全救済及び脱原発を求める決議」 「②貧困と格差が拡大する不平等社会の克服を目指す決議」 「③立憲主義の見地から憲法改正発議要件の緩和に反対する決議」 「④恒久平和主義、基本的人権の意義を確認し、「国防軍」の創設に反対する決議」 すべてが、極めて重要な課題であり、日弁連の「良心」の顕れと思い、大変、励まされます。詳しくは、ホームページで。