☆ この週報は、第11回のディアコニアの前に記しています。先週、そして今週、極めて忙しい日々が続きます。時間の主なる神に、わたしの務めの質が薄くならないようにと、共にお祈り下さい。
☆ 先週の全体研修会は、よき学びができたかと思います。配布した原稿に、恐れをなして読まないで出席されたと方もおられました。確かに今回の学びは、教会役員にはまさに必須のことですが、会員になられたばかりの方は、きわめてとっつきにくい主題出会ったかと思います。しかし、大切なことは、まさにこのような学び会に出席することです。出席者全員が、講演を聴いただけでは、あるいは原稿を読んだだけではなお距離があった教会政治についての本質を学べたと信じています。
★ 今回、とても良い本質的な質問が出されました。学びを深めることができたかと思います。「神学力とは何か」との問いが挙げられました。教会についてのありとあらゆる知識は、牧師や役員だけが知っていれば良いわけではありません。これは、かつて(厳密には現在も)ローマ・カトリック教会が信徒と聖職者を階級として区分けする教会論にたって教会を形成していたことに対して、それこそが、教会の腐敗、教理の不純をもたらす元凶の一つと考えたのが私どもの先達でした。福音主義(プロテスタント)教会とは、会員(信徒)の「神学力」が成長しない限り、本来、成り立たない教会制度なのだと言えます。そもそも聖書は、すべての会員(キリスト者)が恵みによって、御言葉によって成長するようにと励まし、導き、命じています。(大宣教命令=行って、すべての人を弟子とし、洗礼を授け、すべてのことを守るように教えよ)私どもの学びとは、いのちの学びです。永遠の意味と価値を持つ学びです。しかも、まさにここでしか学べない、そのような学びです。驚くべきことですが、若い人もそうでない人も、教会に集うすべての人が一堂に会しても、学べる学び(出席者全員が、そのすべてを理解できるということを意味していません)です。
★ 教会政治とは、キリストの支配、統治を担うための地上の教会の成立のために必須のシステムです。ただし、何度も学び、確認したのは、うっかりすると本末転倒になる危険性、誘惑が多いのです。宗教原理主義です。律法主義です。すべての国と時代の長老主義教会に普遍的な「政治規準」などあるはずがありません。いかなる長老主義教会の制度も、途上のものです。旅の過程なのです。そのような基本を忘れて、政治規準がいわば一人歩きするなら、そこには「まことの教会」は、倒れて行くしかありません。福音的な制度、それは、キリストの愛の制度です。キリストの統治とは、ひっきょう、教会の中に臨在し、生きて働いておられるキリストの愛のご支配、統治、訓練なのです。愛し合う交わり=私どもの言葉で言えば「慰めの共同体」の形成のために、これからも役員を中心にしながらも、教会政治の学びを深めてまいりましょう。そして、役員たちが真実に主と教会(員)に仕え、会員ひとり一人が、キリストの体なる教会のまさにかけがえのない肢体として、有機的に結ばれ、生き生きと働くことによって、神の国のご支配が地上に映し出され、平和が拡大するために。小会や執事会とは、そのためにこそ組織され、そこに向かって奉仕するのです。
☆ 長老主義教会にとって、教会の会議とは、小会、中会、大会の各会議です。しかし、中会は、ただ単に会議ではなく、むしろ、中会こそ教会なのです。「中会なくして教会なし」とは、はるか加入前の相言葉、中部中会でも、当時、しばしば口に出された言葉でした・・・。これらの会議は、言わば「魂そのもの」を扱うものだからです。小会によって、執事会は正しく機能し、執事会は教会のさまざまな奉仕を生き生きと担って行けるように機能する、これが理想・目標です。焦ることは、まったくありません。しかし、この道をしっかりと踏みしめたいと願います。
★ 今夕、秘密保護法案が衆院を可決の報に接しています。暗澹たる思いの夜です。歴史に学ばない者、過去に目を閉ざす者は、将来を失います。これは、戦前の「治安維持法」を想起させられる悪法です。まさに、戦争する国への「仕上げ」の段階に入ったことを意味するでしょう。目覚めていましょう。