★ 先週の読書会は、教会設立前の諸集会の最後の集い(学び)となりました。本来、設立特命委員のみの、しかも役員候補者のための学びという「主旨」でした。しかし、私どもの方から、むしろ会員全体のための学び会、そして豊明の他の長老またできれば執事の方にお越しいただいての学び会を提案させていただきました。今回の学びと交わりによって、組織される小会と執事会のイメージがいよいよつかめるようになったかと思います。わたし自身は、何にもまさって、このような共同の学びが豊明教会との間で持てるという、中会主義の幸いを感謝いたしました。
一つひとつの教会は、まさに「かけがえのない」群れです。豊明教会と私どもの小会、執事会を比べることはほとんど意味がありません。むしろ弊害が大きいでしょう。その群れの主が、ふさわしく導かれます。同時に、単独では独善的になりやすいのですから、これからもこの交わりが祝福されることを期待し、願います。3月より、豊明教会は、定住牧師を欠いた群れとなります。祈りましょう。5月には、わたしも一度、説教者として奉仕させていただく予定です。
☆ 設立式まで、残るは3月2日の役員候補者の試問会のみです。設立式の主役は、現住陪餐会員の皆さんです。皆さんは、長老任職、執事任職、牧師就職とその都度、「誓約」を求められます。三度も、です。「教会の言葉」の唱和もあります。大切なこの集会、皆で迎えられるように、いよいよ祈って備えてまいりましょう。
★ お祝いの言葉も「すでに!」東京教会から、三神休職教師からも頂いています。おそらく、当日には、さらに多くの教会や関係者からも電報他も頂けるかもしれません。
☆ 先週の夜の祈祷会には、川上牧師をお迎えして、「東北ヘルプ」さんのお働き、特に「姉妹教会プロジェクト」についての報告を受けました。出席者は15名。今回の訪問は、私どもが、昨年より、福島の相双(相馬・双葉)地区で支援活動を熱心かつ誠実に続けておられる日本同盟キリスト教団の後藤先生のお働きを、わずかながら支援させていただいている繋がりによるものです。名古屋からは、二つの教会がこのプロジェクトに参加しておられるようです。頂いたレポート(本日配布)の中で、改めて宮古コミュニティーチャーチ(岩塚牧師)の働きに注目させられました。宮古市から表彰されたとのこと。昨夏、家内と共に主日にお訪ねした折、社会福祉協議会の「お祭り」に「讃美歌」披露の参加を要請されるという関係を拝見したことを改めて思い起こしました。12年だったと思いますが、私どもは、岩塚先生から坂元中跡での屋外カフェの支援をいただいたことがあります。考えてみますと、岩手の宮古から山元町まで、実は、大変な距離なのです。教派を越えて、支援による教会間の協力は、今回の震災のある実りであると思います。何より、教会においてもまた、この世における「中央と地方」の構造があることを、わたし自身のこととして認めざるを得ません。岩塚牧師の事例は、震災とは関係なく、それを克服する信仰の戦いを孤軍(単立)で担っておられたのでした・・・。詳しくは、「中間報告」をぜひ、ご参照ください。私どももまた、山元町(のぞみセンター)を中心に、相双地区への支援、その他、東北のための祈りを継続してまいりましょう。教会が真の教会であるためにも・・・。
★ 週報の「祈りの課題」に「辺野古への基地移転が阻止されるために」と2010年から欠かさず記載しています。実は、わたし自身、一度も沖縄を訪ねたことがありません・・・。しかし、3:11によって東北、被災地との出会いへと導かれています。沖縄「差別」の構造は、福島(と原発)の構造と同じです。沖縄にある教会の声が日本のメディアに登場しません。福島の教会の声は、さらに取り上げられません。小さな群れ群れは、いよいよ教会形成の困難を抱えています。それだけに、名古屋の地から、声を出し、手を出すことの意義と責任を思います。「仙台」に本部のある「東北ヘルプ」さんの役割も、大切です。川上牧師が、都知事選の結果を、福島の人々は本当にがっかりして受け留めている・・・と仰いました。結局、日本(政府のみならず国民、市民)は、「悔い改め」を知らないまま進むのでしょうか。敗戦の責任をほとんど誰も取ろうとしないまま、戦後が始まりました。「神の御前での悔い改め」なき出発は、再び同じ過ちを犯すことになるはずです。「戦争責任を担う教会」と「東北支援」とは、深く繋がっています。