★ 先週の水曜日、ついに○○兄とお別れしました。私どもの教会にとって彼の存在は、-どなたも同じですが-特別でした。大学時代に信仰へと導かれたのです。今、特に日本キリスト改革派教会では、彼のように未信者の家庭から導かれる方は、珍しい(!)ことになってしまっています。それだけに、彼を東京に送り出すのは、実に寂しいことです。しかし、「岩の上魂」をもって、活躍されることを、祈り続けます。「5周年記録誌」「15周年記念誌」を贈りました。この二冊とも、贈呈していなかったのです!本当に、申し訳なく思います。岩の上教会がどのような歩みを重ねて、今日に至ったのか、今からでも彼に熟読して頂けるなら、必ず東京での教会生活にさらに生かされることを確信しています。
☆ 「岩の上魂」・・・。この言葉は、本日、こちらに戻って来られる○○姉のかつてのお便りの中で、用いられた言葉です。送り出した姉妹が、戻って来られるのです。しかも、教会のごく近くにです。不思議な導きです。かつての教会(伝道所)と今では、また、ずいぶん、違った姿になっているかもしれません。教会は、生きていますから、成長、変化するのは当然です。いずれにしろ、教会の頭でいらっしゃる主、生ける主イエスの深いご計画に基づくことを、厳かに受け止めたいと思います。そして、いよいよ2014年度の歩みを進めてまいりたいと願います。
★ 先週、第12回の被災地ディアコニアから無事に戻りました。文書による奉仕者の報告は、近日中に配布されるかと思います。ここでは、わたしの担当奉仕の側面からの感想を記させて頂きます。
2011年3月11日から早くも3年という決して短くはない月日が過ぎました。岩の上ディアコニア支援室としては、12回目の訪問となります。私どものこれまでの基本的な奉仕は、坂元中跡とナガワ工業団地(山元町)そして亘理旧館(亘理町)に入居しておられる皆さまへの支援です。会員による文通の交流を維持しながら、わずかな支援を重ねてまいりました。さらに昨年より、福島県相双地区への支援をも加えるように導かれています。
フクシマへの支援は、ずっと気になっていた課題でした。震災直後、福島伝道所の定住説教者を慰問させていただき、彼を通して、福島の方々への支援をさせていただきました。しかし、それは、単発的なものでした。しかし昨年より、「のぞみセンター」の活動の関係のなかで、相馬市で伝道し、支援活動をしておられる日本同盟キリスト教団の相馬教会の葛西牧師、そして支援活動に専心しておられる後藤一子牧師との出会いに導かれたのです。そこから、名古屋岩の上教会としての支援の道が開かれてまいりました。そして今や、私どもに突き付けられた重い課題、責任として、この奉仕を捉え始めています。
さて、私は、今回も、愛知県立芸術大学の歌のコンサートに加わる形で、御言葉の説教を準備して臨みました。仮設住宅の玄関先で祈らせていただくことは当初から、そしてこのような形で御言葉を証することは被災後1年を越えた頃から、当たり前のこととして担ってまいりました。
しかし実は、後藤先生から、「午前の仮設では、コンサートのみで、説教はしないで欲しい」と前回から言われていました。それは、いわゆる入信決心者を募るような集会をしたグループがいて、その後、その仮設でのキリスト教のイメージや働きに多くの方々が反発されたという経緯があったからでした。後藤先生は、その後始末をされ、コツコツと「お茶っ子」の奉仕を重ねて信頼を得られたのです。ところが、コンサート終了時、先生から、突然、わたしに挨拶や祈りを求めて下さいました。挨拶はそこそこに、お祈りの意味を説明させていただきました。すると来て下さった男性から「アーメンって、どんな意味か教えてほしい」と質問を受けました。こうして自然な形で、福音を説くことができたことは、まさに聖霊の導きだと感謝致しました。
午後の仮設では、最初から用意していたお話、まさに「アーメン」について語らせて頂きました。小さな子どもも真剣に聴いてくれたのが、印象的でした。翌日の、既に交わりを重ねている方々ばかりの坂元中跡でのコンサートですから真剣に聞いて頂けました。余談ですが、山元町は、ある事情で、仮設への個別訪問活動すら厳しく規制されていました。しかし、3年後、ボランティア活動激減の中で、行政も福祉協議会も方向を転換され、私どもの受入れも、極めてスムースでした。
21日の午後は、チームの皆さんがのぞみセンターで奉仕をしている間、夫婦で、会員からのお届けものを携え、亘理旧館、ナガワの仮設にご挨拶に伺いました。私どもの顔をみて、「涙が出て来ます」と仰って、当時のことを、改めてお話し下さる方々。いつも親切にしてくださるご婦人は、「ほんとうに大人用換えオムツが有り難かったのよぉ~」と、改めて3年前の小さな支援を感謝して下さいました。3年もの年月を仮設住宅で過ごされたからこそだと思わされました。お会いした方々は、少なくともあと二回、厳しい夏と冬を、あの狭くてプライバシーを守ることが困難なお部屋で乗り越えなければなりません。これが、日本そして被災地の現実です。フクシマの仮設の方々は、亘理・山元の方々のような最低限の将来すら展望できません。東日本大震災、そして原発事故のもたらした過酷な現実は、決して、終わってなどいないのです。
この現実を、教会として、特に被災地以外にある教会として伝える責務があることをいよいよ強く思わされています。そのために、被災地ディアコニアをコツコツと積み重ねて行く必要性があると思います。今回も、祈って送り出して下さる会員のご準備、中会有志の皆さまのご支援を心から感謝致します。
☆ 次主日は、開拓20周年記念の礼拝式です。主の導きで、今朝の説教個所を次週も扱います。そして、今朝の説教は、次主日の準備ともなります。開拓の志をここに継承し、なお一層深め、より豊かに広げて行く責任があります。共にしばし立ち止まって確認し、共に歩みを進めてまいりましょう。