過去の投稿2014年4月6日

4月6日

★   1994年4月3日、その日は、復活祭でした。先日、ある方から、「いく(19)くるしみ(94)、よ(4)み(3)がえり、覚えやすいですね」と言われました。教会にとって、いくつも記念すべき日、時があります。今年は、先日の教会設立式がそうでした。さらに言えば、役員方が体験された、第二回定期会議場でのことごとなども、まさに記念すべき、忘れ難い決定的「時」だったかもしれません。しかし、決定的と言うなら、やはり、この日です。この日から20年もの年月が過ぎたのです。あっという間です!信じがたいほど、です。それだけ充実した日々だったということです。そして、この日を迎えることができたことを、皆さまと共に主に感謝したいのです。そして、報告にありますように、「継承すべき歴史を確認し、現在を冷静に見つめ、将来について神の夢を語り合いましょう。」私どもは、新しい出発点に立つことを許されたのです。これからが、いよいよ「本番」となる。私どもの歩みの真価が問われて来るのだと思います。帯を締め直して、出発しましょう!

☆  本日の説教のテキストは、先週と同じ個所です。先週も20周年記念を覚えての説教として導かれました。御言葉に導かれ、私どもの教会は、どこを目指し、何を目指して開拓伝道を始め、それを深めて来たのか、確認することができました。

【実に、名古屋岩の上教会の開拓伝道とは、日本の教会の歴史、プロテスタント150年の歴史の急所、弱点を克服する挑戦の歩みでした。】

当初から明瞭であったと言い切ることはできません。もっと生々しく具体的な問題がありました。しかし、事柄を掘り下げて行くとき、そこに見えて来る「普遍的」な課題にぶつかって行かざるを得なかったのです。そして、そこにこそ、日本キリスト改革派教会の創立宣言で示された言葉が、響き合ったのです。言い換えれば、私どもの開拓伝道とは、創立宣言をこの時代、この場所で担うということです。

  説教では、日本の教会の根本問題に触れました。教会の「居場所」を見いだすために、キリストの主権(福音の真理)をないがしろにしてしまった罪の問題です。

【私どもの教会がここで開拓を始めたのは、ただ単に、一つの新しい教会を開拓するということではなかったのです。イエスさまの主権を貫く教会を建てるために他なりませんでした。】

かく、語ったわたし自身、どこまでそれを貫けたのかが検証されるべきです。牧師自身の信仰の弱さ、不熱心、献身の徹底の課題があるはずです。まさに、「教会を守るため」という、説教でも厳しく批判したその言葉が、わたしの歩みをも問う規準となります。この文章を書いている時、今朝の説教がどのように導かれるか、分かりません。しかし、使徒ペトロの説教を通して、教会にとっての普遍の真理を明瞭に悟り、志新たに、出発したいと思います。

★   先週の祈祷会では、礼拝指針から、祈祷会について、また断食の日、感謝の日について学びました。本日は、まさに、「感謝の日」の主日です。神に心から感謝し、教会員お互いのことを心から感謝しあいたいと願います。思いっきり感謝!の主日、礼拝式と午後の集会となりますように。

☆   先週、宮古の岩塚牧師と夕食の交わりが与えられました。あっという間に3時間。先生たちを通してなされている神の御業を伺うことができ、心から感謝しました。決して、オーバーではなく、日本宣教の将来を切り拓く実践が進められ、確かな実りが見えてきたことを、確信させられました。全国、また世界から奉仕に駆けつけて、被災者のために徹底して仕え、隣人となるキリスト者たち、そしてその「ハブ」として用いられている宮古コミュニティー教会と岩塚牧師。少なくとも3~4000人の被災者のよき隣人となり続けておられます。その存在と行為が、神の愛、キリストの恵みを証しています。岩塚牧師の存在が、宮古に置かれていたことの摂理に、どれほど感謝すべきであるかを思います。先にこの通信でも、ご紹介しましたが、福祉協議会から表彰を受けられました。今や、キリスト教と教会への信頼と期待は、これまでの仏教やお寺のそれをはるかしのぐものとなっています。前述の150年の教会史の課題の一つに、地域に根付くという課題もあります。この3年の歩みは既に、将来の日本宣教と教会形成のモデルとなっています。「ディアコニアに生きる教会」とは、私どもが掲げ続ける目標です。確かに、状況がまったく違います。しかし、そこにとりわけ日本伝道の鍵があります。私どももまた、この町に遣わされています。福音を伝道し、証人として生き、ディアコニアの責任を果たしたいと願います。