過去の投稿2014年6月22日

6月22日

  先週は、大会役員修養会が豊橋市で開催されました。これまで長く、浜名湖の「カリアック」を会場にしていましたが閉鎖に伴い中部中会長老会によって新しい会場として「シーパレス」となりました。定期大会は、東部中会と西部中会が二年ごとに会場を選定し、その責任を担って下さいます。中部中会は毎年の大会役員修養会の会場奉仕を担います。

☆   今年から3年間「伝道会議」という名目で開催されます。70周年を迎える日本キリスト改革派教会の教勢の現状に鑑み、大会議長書記団はこのようにされたのだと思います。もう、耳にタコができるほどかもしれませんが伝道者(教師)の不足が指摘されています。また、長老や執事の高齢化や減少によって委員会活動そのものが成り立たなくなっていることは、まさに中部中会の現実そのものです。これを打開するに、とにかく人材が欲しい。そのために、伝道・・・。となるのは、誰しもが考えやすいことだと思います。ただし、伝道とは教会を維持、保持、発展させるためになすものではありません。主のご命令であり、教会そのものの存在理由であり、神の国の福音をつたえないではおれない、この喜びといのちの知らせを告げないでは自分にとって災いであるとの強い内的な衝動に駆られなければ担えません。つまり、生きている教会のしるしであり、運動、行為そのものです。

★   しかし、他の教会云々ではなく、まさに、私ども自身が、今深く問われていることです。そもそも、私どもの教会は、「正しくない伝道ならしないほうがよい」という言葉をもって開拓伝道の最初の時代を過ごしました。そのような信仰の姿勢(態度)で始められる開拓伝道は、まことに例外的なものだと思います。とにかく地域の人々に広く教会の存在を知らせ、さまざまな活動のプログラムを用意して、教会と地域の人々との接点を増やし、広げ、教会に来てもらうために知恵を絞り、汗を流します。そこが、私どもの開拓伝道の特異性であり、また、ある意味では「誇り」でもありました。伝道は教会の形成のためにある者と言う聖書的な、改革派的な確信を保持していました。どれほど多くの人が集っても、それで自動的に教会にはならないことを前任地で経験していたからです。ただ、この牧師の「姿勢」が、名古屋岩の上教会の伝道の姿勢において消極的なもの、負の遺産となってしまっているのではないかとの思いもあります。それ故に、かつて、読書会で、伝道の実践的訓練(個人伝道の訓練やロールプレイ)を試みたのです。私どもには、それぞれ神と人に仕えるために、異なった賜物が与えられています。しかし、「伝道おばさん」「伝道おじさん」が起こされることを、伝道の主に切に求めたいと思います。そして、常に「教会の宣伝マン」としての意識をもって、日々の暮らしを営みたいと思います。

☆   わたしの普段の生活のなかで、伝道する局面は、とても少ないのが現実です。しかし、先日、修養会の帰路、コンビニの前で自転車を留めていた同好の男性に声をかけ、長い立ち話になりました。そして自戒を込めて申しますと、そのような話しの中で牧師であることを告げるチャンスは十分にあったはずなのに、違う話題に終始してしまいました。情けない思いを抱えつつ、帰路、「今度こそ」と誓いました。伝道を「気軽に」すること。おそらく賜物なのかもしれません。同時に、例えば、「何故、そんなにがんばっていられるの?」と聞かれる人になることは、すべてのキリスト者の目標で全生涯に渡っての修錬、聖化の歩みが必要でしょう。ただし、そのことと「伝道おじさん・おばさん」となることとは、矛盾しませんし、むしろ相即するはずです。新しい日本の構築を創立の志に据えた日本キリスト改革派教会としては、常に大きく日本伝道を考える責務があります。一方で、各個教会は、コツコツ御言葉の種をまき、さまざまな方法でことばと行いによって証をし、人々を教会の交わり、礼拝式へと招くことが責務です。

★   安倍政権の暴走が止まりません。集団的自衛権の容認議論とは、要するに憲法を、首相の権限で意味を換えてしまうことです。憲法破棄です。戦前の「旧日本」を取り戻すというわけです。戦前の日本の状況が今、見事に再現されようとしています。