★ 先週は、第9回の被災地ディアコニアから無事、戻りました。皆さまの熱いお祈りを背後に深く覚えて、今回も恵みの内に計画通りの奉仕を捧げることができました。心から感謝致します。
私どもは、震災とは関係なく、もともと教会の存在、本質を「愛の手紙」として深く自覚しつつ、教会形成に励んでまいりました。そして、この震災によっていよいよ、教会共同体の本質が「愛の手紙」であることと、あるべきことが明瞭になってまいりました。「聖書」が神からの愛の手紙であり、「説教」は、その手紙を今ここで説き明かし、語り直す手紙です。その聖書と説教によって形成される教会こそが、そのまさに結実として、神からその時代、その地域に派遣された愛の手紙です。そもそも、イエス・キリストご自身が天の父のもとから来られた生きた手紙そのものでいらっしゃいます。私どもの被災地ディアコニアは、当たり前ですが、教会の業でした。今も鮮やかに思い起しますが、第一回の炊き出し準備のすべては、教会でなされたものでした。現地奉仕者は、ただお配りしただけです。今回も、皆さまの祈りによって送り出されました。教会の業ですから、当たり前ですが、しかし、やはり「ありがとうございました!」と、祈って送り出して下さった皆さまに感謝したいと思います。
☆ 今回は、これまでに比べると奉仕者は、少人数でした。二台の車で、ゴールデンウィークの日曜日の午後に出発しましたが、途中、当然、自然渋滞と事故渋滞に遭遇しましたが、11時45分、つまり、その日の内に到着できました。帰路は、まったく渋滞もなく、夜の9時には無事に戻ることができました。それもあってか、皆さんの口から、今回の奉仕は肉体の疲れを余り感じられなかったと・・・。
★ 現地では、○○姉(のぞみセンタースタッフ)と○○牧師ご夫妻が参加してくださいました。とりわけ、○○姉には、準備の段階から、そして当日、そしてその後のフォロアップまで、何から何までお世話になりました。今回は、当初、センターで宿泊しないようにと考えていましたが、お世話になりました。それもまた、疲労を軽減させていただけたと思います。
☆ 私と家内は、三つの仮設に子どもたちを迎えに行き、そこでもよい体験が与えられました。今回は、亘理旧館だけを個別訪問させていただきましたが、久しぶりに「毛糸」のリクエストを受けたり、私どものホームページを見ていて下さる方、前回、玄関先でのお祈りさせていただいたことを心から嬉しく思った、お会いしたかったと告げて下さる方・・・、その他、数々の再会、出会いがありました。2年の歩みのある実りを、自分自身、思わされました。しかし、本来、「仮設」の住宅のはずなのに、あれから2年!も、厳しい住環境他の中に、閉じ込められておられる高齢者の方々、子どもたち・・・。本当に、過酷です。名古屋に戻れば、大震災はいよいよ過去のことのように忘れられつつあります。しかし、私どもは、やはり「もう一度」、出かけて行きたいと思わされるのです。そのもう一度が、9回となり、おそらく、「10回」とならざるを得ないと思うのです。
★ 子どもたちと遊ぶ奉仕、これは、楽しい奉仕です。彼らが喜んでくれる姿を見れることは、奉仕者の特権です。今回、新地町(福島県)の温泉まで皆で出かけました。子どもたち、特に福島の子らを遊ばせるディアコニア・・・。「雀のお宿」の利用について、これまで具体的な計画もありましたが、実行できていません。
☆ わたしは、今回、センター理事会出席のため、亘理駅から仙台教会に向かいました。今回の理事会は、臨時でした。それだけに長い時間をかけました。大きな決議は、のぞみセンターの活動を最低、2016年5月まで継続することとその予算措置です。あと、最低3年は、被災地支援のディアコニアが継続されます。残念ながら、その必要があるのです。これも残念ながら、3年後に撤退するとしても、なお支援の必要がなくなることはないはずです。今回の奉仕の中で、センターの働きが認知され始めている手ごたえを覚えることができました。スタッフの皆さまの献身的な奉仕を心から感謝いたします。そして、彼らが、いよいよ喜んで、そして「愛の手紙:共同体:チーム」として被災者に仕えることができますように。また、スタッフと奉仕者が加えられ、なお、ひろく近隣の新地町、亘理町にまで、支援の手が差し伸べられるようにと、祈ります。
☆ 6月は、伝道月間です。伝道新聞作成も進んでいます。亘理町にも、隣の浜吉田にも開拓伝道の教会が建てられています。素晴らしいことです。彼らは、一生懸命、支援活動も行っておられます。センターは、教会ではありません。しかし、私どもは教会です。この町には、大勢の選びの民が、御言葉を聴けずに瀕死の状況にあることを、見つめましょう。先ず、隣人となることからです。友達となり、絆を結んで、福音を証する・・・、この王道を行きましょう。同時にまた、伝道新聞のような「宣伝」も、諦めずに挑戦し続けましょう。