過去の投稿2013年7月8日

7月7日

☆  次主日の礼拝式は、子どもの教会のキャンプの出発礼拝式として捧げます。一年に一度、皆さまのご理解とご協力の下、9時30分から始めます。連絡もれがないように、よろしくお願い致します。

★  昨年は、教会堂でキャンプを行いましたので、二年ぶりに「こもれびの里」(岐阜県加茂郡東白川村)にまいります。このキャンプは、特に、子どもの教会に普段来れない子どもたちのために、言わば「伝道」にアクセントが置かれてきました。最近は、参加者が減少傾向ですが、今年は、増えているようです。参加者の契約の子と地域の子たち、そして参加会員と奉仕者の方々のために祈りましょう。

☆  先週のカテキッズは、実に、合計36名!もの出席者でした。吉井兄姉のお宅に、よくも入ったものです。おいしいお好み焼きを、何枚も焼いてくださった方々をはじめ、ご奉仕に改めて感謝いたします。絵本の読み聞かせや賛美、食前感謝のお祈りもしました。しかし、子どもたちが多く、ほとんど収拾がつかないほどでした。食後は、公園で遊びました。途中から、サッカーを始めました。

★  「カテキッズ」とは、カテキズム教育とキッズをあわせたわたしの造語です。そもそも、牧師と契約の子たちとが教会生活を共にしながら、実際には、ほとんど向き合って牧会することができない現実をどのように克服するのかという発想から始まりました。聖書のお話、その後、わたしそして家内、さらに子どもの教会の教師たちが手分けして、子どもたちとお祈りをし、話しあったりする集いです。

☆  今回のカテキッズは、外部の子どもたちが圧倒的に多かったことが、特筆すべき恵みでした。震災前、教会のディアコニアを考える中で、若い兄弟たちが、契約の子を連れて近くの公園に遊びに行き、地域の子たちを巻き込んで遊ぶ奉仕を何回か、行いました。子どもの教会に導きたいという願いがありました。今回のカテキッズ、公園で遊びながら、そのことを強く思い起こしました。吉井家の目の前の公園。多くの子どもたちがいます。わたしの祈りの課題となりました。

☆  参議院選挙が始まりました。本日の朝刊では、自公の圧勝が予想されるとのことです。憲法改正や原発問題が大きな争点にならず、目先の経済の問題だけが、圧倒的多数の関心事ということなのでしょうか。一方で、改憲反対、原発再稼働他反対の民意は、なお過半数を越えているとの報道もあります。この国は、まさに危機中の危機に置かれているはずです。それでもなお、目覚めて立ち上がろうとしない浮動票の存在。加えて、そもそも投票しない人々。政治家の質の問題は、決して、政治家の問題ではなく、まさにそのまま有権者の鑑なのだと、思わざるをえません。政治家(政府)を縛る憲法の根本的性質、立憲主義の原理を根本的に変えてしまうことを、心の底の底から願い続ける勢力の底力を、見くびってはなりません。誰よりも、私どもキリスト者、教会の責任が深く神に問われています。しみじみと、敗戦前、戦中の教会の恐るべき罪を、敗戦後67年の間、どれほど悔い改めを深めて来れたのか・・・。それが問われます。そして、それは、あの3:11において、はっきりと示されたのです。つまり、教会はまたもや敗北したということです。かつて、「大会時報」で3:11を「第二の敗戦」と捉えて、表現しました。それは、第一の敗戦の線上にあるということです。あの敗戦が本当の意味で、政府をはじめ、経済界、メディア、大学(学界)何よりも宗教界(キリスト教も例外ではありません。)が、敗戦責任を鮮明にしないまま、3:11まで来てしまったのです。そして、原発爆発がもたらされました。戦後の沖縄。そして3:11以降の福島を見ることによって、戦後日本とはどのようなものであったのかを、悟るべきであり、悟れると思います。今、手遅れになるギリギリの時を迎えていると、わたしは思います。教会もまた貧弱な知性(歴史認識)でしかなかった・・・。そう自己批判せざるを得ない現実が、いよいよ顕在化しています。「目覚めよ」との声が聞こえます。