☆ 子どもの教会キャンプのために、お祈りくださり、心から感謝致します。本当に恵まれた楽しい時を、子どもも大人も共に過ごすことができました。初めての参加者。地域の子どもたちの参加者も多かったのでした。
★ 地域の子どもたちの多くに共通しているのは、カトリック幼稚園の卒園児ということです。確かに、家内との個人的な関わりを持った子どもたちは少なくありません。しかし、幼いとき、幼稚園であったとしてもイエスさまのこと、造り主なる神、唯一の父なる神の存在を知り、祈りを唱えた経験のある子どもたちは、明らかに「違い」ます。たとえて言えば、キリスト教や聖書に触れたことのない子どもたちは、キリスト教信仰への感性、アンテナが立っていません。しかし、彼らには、教会や聖書、神さまのお話を聞く姿勢が、既に神さまによってつくられているのです。これは、どれほど強調してもしすぎることはない、祝福されて事実です。そこにまた、わたしどもの子どもの教会の対社会的使命、責任があります。子どもの教会は、幼稚園ではありませんし、毎日、キリスト教教育を施すこともできません。しかし、幼いとき、「主の祈り」を唱えただけでも、聖書のお話や教会堂に一度、足を踏み入れただけでも、神の恵みの刻印、霊的な祝福のしるしが押されるように思えてなりません。ですから、子どもの教会の地域の子どもたちへのディアコニアは、これからも力を注ぐ必要があることを思います。子どもの教会の教師、奉仕者のために、祈りましょう。さらに、また、キリスト教系幼稚園・カトリック幼稚園の働きに感謝し、私どももまた執り成し祈らなければならないとも思います。
☆ 先週の主日礼拝式は、出発礼拝式として捧げました。キャンプとの兼ね合いがありますが、ご父母の出席をも願う思いも込められて、捧げられています。先週、いつものように感謝しながら驚かされました。1時間余の礼拝式でした。しかも、説教は、大人向けです。しかし、皆、真剣に出席し、騒がず聴き続けていました。生まれて初めて来てくれた子どもたちもいたのです。すばらしいことです。ひるがえって、契約の子たちもまた、ある緊張感をもって礼拝式にあずかっていました。これは、私どもにある示唆を与えているのではないかと考えさせられます。つまり、彼らもまた、いつもの礼拝式に共にあずかり、静かに落ち着いて過ごせる可能性です。
★ 先週の祈祷会での礼拝指針の学びの中で、礼拝式への備えについて確認しました。礼拝堂に入堂したときには、「挨拶・会話」はしないということです。「招詞」が宣言される前の、その一瞬の静寂は、主日礼拝式の生命線です。神からの招きによってここに集められた神の民(教会は、ギリシャ語でエクレーシア、神に呼び出された者たちの集いの意味です。)の幸いをかみしめる瞬間です。子どもたちに、契約の親が教えて下さって、その恵みにいっしょにあずかるように招いてください。かつて、子どもたちを前列の席に集めて礼拝式を捧げていました。しかし、今は、基本は、親の隣での礼拝です。
☆ キャンプの最後の感謝会で、「一番楽しかった事は何でしたか」の質問に、全員の口から「川遊び」があげられました。一日目も、二日目も川遊びができて幸いでした。やはり、東白川でのキャンプは、圧倒的に川遊びの魅力が大きいです。しかし、「神さまのことが深く知れて、よかった・・・」と契約の子の声もありました。わたしは、出席者全員が、それぞれの深浅はありますが、今年の主題である「感謝」について思いを巡らすことができたのではないかと、感謝しています。御言葉を中心にしたこのような集いこそ、教会の醍醐味の一つです。
★ 一日目、昼食に立ち寄った道の駅で、ある未信者の方と話しをしました。27名の子どもに16名の教師たち・・・。その多さに驚かれていました。学校や地域の子どもの集まりでは、考えられないかもしれませんが、ここにも教会の営み、奉仕者の力があります。そのようなこともあって、毎年、キャンプには、教会の外からの参加者が多いわけです。信頼されているということも、確かにあると思います。
☆ 本日、遂に参院選投票日。与党の圧倒的優位の報道を見ています。いったい、今晩、どのような思いで速報を聴くことになるのでしょうか。「迫害」という言葉を真剣に用いなければならない時代へと逆行する可能性があります。それぞれが信仰と良心に基づいて、投票されますように。そして、主権者の「ハズ」の有権者が、投票し、ふさわしい判断を下すことができますように、なお真剣に祈ります。
★ 参院選後に、8:15集会が開催されます。講師は、西川引退長老。岩の上でも、平和集会の講師としてお迎えしました。そのとき、出席して求道を始めたのが○○兄でした。次主日の読書会は、テキストを配布していますが、状況によっては、この集会をもとにしての報告会としても・・・。ご参加ください!!