過去の投稿2005年3月25日

「神が求めておられる唯一つもの」

「神が求めておられる唯一つもの」

                ルカによる福音書第17章11節-19節

                      主の2004年11月7日

  今、草野さんの聖書朗読を聴きながら、あなたは、どのように思われたでしょうか。「癒された10人の内、帰ってきたのはたったの一人だけ、あとの9人は何と恩知らずな人間なのだろう」9人に対する批判的な気持ちが湧きませんでしたか。

 さて実は当時、この重い皮膚病を患っていた人たちは、道を歩くときには、いつもこう大声を張り上げなければなりませんでした。「わたしは穢れた者です。わたしは穢れた人間です。」当時、この人々は隔離されて暮らさなければならなかったのです。愛する肉親とも会えません。まさに二重三重の苦しみを味わわねばならない、そのような厳しい病でした。

  しかし主イエスは、彼らの住む村に入って行かれ、遠くから、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫ぶ10人を、その10人とも癒されました。ところが、主イエスの所に戻ってきたのはたったの一人でした。しかしその一人の人は、「神は生きておられる。私は神に顧みられているのだ。私は神に愛されている人間なのだ。神さま感謝します。」そう言って、主イエスの足元にひれ伏して、他の誰でもない、この主イエスを神として礼拝したということです。

  ある牧師がこのように言いました。「神が、私どもに望んでおられる唯一つのことは、感謝することだ。」その通りと思います。それなら、どうして感謝できるのでしょうか。それは、私どもはそれぞれ、既に神の恵みを豊かに受けているからです。

  しかしあなたは今、もしかすると、「今、自分には何か特別の悩みがあるというわけではないけれど、これと言って何かすばらしい出来事があるわけでもない」つまり、感謝する材料がないとお思いになっておられるかもしれません。あるいは、「わたしだってこの人たちのように特別の経験をしたら、その一人の人のように信仰に入ります」と仰るのでしょうか。

  しかし、あなたにも既に今、神の恵みが注がれて、生かされていることにぜひ、気づいて下さい。もしも、「わたしは、神から恵みなど受けていない」とうそぶくなら、それはまさにあの9人と同じになっている、聖書はそのように問いかけ、訴えているのです。

  確かに、多くの方が、奇跡的に病が癒された経験を持っているわけではありません。しかし、あなたも私も、既に神の恵みによって生かされていることは確かなのです。そのような神の愛の証拠の一つは、食べ物、着る物、住まいを与えられているということです。しかし、何よりもすばらしいことは、この朝、神はあなたにこの放送を聴き取らせて下さっていることです。この放送で届けられている情報とは、「あなたはすでに神の恵みにあずかっていて、罪の赦しを求め、主イエスを信じるだけでその恵み、神の子とされる」という喜ばしい情報なのです。今あなたは、この特権にあずかっているのです。神は、この喜ばしい報せによって、あなたの人生を感謝の色に染めたいと願っておられるのです。
  
   どうぞ、今朝、あなたもあの人のように帰ってきて下さい。「わたしのために十字架についてお救い下さいました主なるイエスさま、主よ、我は、今ぞ行く」と、主イエスのもとに来てください。それは、今朝、主イエス・キリストの教会の礼拝に戻ってくることに他なりません。そこで、主イエスは、あなたにも「あなたの信仰があなたを救った。」と牧師の説教を通して語って下さいます。