過去の投稿2006年7月2日

7月2日

★   本日は、○○教会より、○○○○姉を現住陪餐会員として迎え入れ、初めての聖餐を祝います。すでに共に礼拝式を捧げて、3年余りの月日が過ぎました。初めのころ、何度か、転入についてわたしの方から、打診をしたことがあります。しかし、それ以降、ご本人の意思に任せておりました。私の姿勢としては、あくまでも、○○教会員として、「牧会」の責任の範囲外として「遠慮」しながら、接してきた・・・、これが正直なところです。

☆  しかし、「牧会」を受けるということは、キリスト者にとっての特権であり、また義務でもあることを思いますとき、やはり、この3年余りは、長かったと思えます。牧会とは、主に牧師からの具体的な配慮と訓練を受けるということを意味します。そして、それは、私どもの教会では、「祈祷会」において主になされる部分が多いのです。現在も、祈祷会では、まだ一巡していませんが、牧師とのマンツーマンの祈りのときを持っています。転会の志が与えられてから、祈祷会に出席すべきことを申しました。これが、私どもの教会生活の基本であるとお伝えしたのです。そして、彼女も、○○ちゃんを抱えて一生懸命励んでおられます。そこにすでに、私どもの教会の交わりの姿が現れています。

★  転入の短い学びのときに、彼女が、名古屋岩の上伝道所で「やっていけるか」とても不安であったと仰いました。「レベルが高い」というような発言もありました。それは、おそらく祈祷会のことなのかもしれませんが、しかし、私どもは、開拓教会として、伝道所としてまだまだ未熟です。信仰の基礎を何とかして堅固にし、これから地上にあって主が再び来られるまで、キリストの主権に服し、改革長老教会としての柔らかで堅固、御言葉を正しく語りそれを生きる「岩の上に立つ」教会として歩むことを目指しているのです。その道半ばの私どもに、キリスト者の家庭で育まれた同じ中部中会に連なる姉妹を迎え入れることができましたことは、私どもの教会の大きな祝福であると信じています。

☆  本日、私どもの教会は「新しく」なりました。そのことを、改めてお互いに意識したいと思います。一人の現住陪餐会員が与えられることは、具体的な名古屋岩の上伝道所という神の家族が増えたことを意味するのです。これまでも、姉妹は何度も、ともにここで聖餐にあずかられました。しかし、その聖餐を受けられることは、どこまでも、姉妹の霊的な益のためでした。しかし、聖餐を祝うことは、本来は、そこで祝う共同体を形成するための聖礼典として神が聖霊によって与えてくださる恵みの手段なのです。その意味で、今朝、私どもの聖餐の祝いは、これまでとは違うものとなったのです。そのことを、姉妹とも学び、確認しあいました。それなら、受け入れる私どもは、どうでしょうか。改めて、聖餐の礼典が、教会共同体を形成するための、一つのパンを分け合い、一つの体の一部分であるとの霊的な恵みを再確認させられ、その恵みを強められ、教会を建てる説教とともに聖餐であることを、今朝、深く、かみ締めて、姉妹を迎え入れることができた霊的な意味とその喜び、その責任、その使命を深く悟りたいと願います。

★  先週、インターネットの接続不具合で、2日間、メールができませんでした。これは、わたしにとって、何ともいえない、不安感。焦り。をもたらせられることです。結局、真因はつかめないままです。万一、私どもが神との交わりを途絶えさせるなら、それは、まさに恐ろしいことです。しかし、神は、ご自身の聖霊によって、私どもキリスト者をその洗礼によって、その説教(御言葉)によって、その祈りの手段によって、キリストの体と結び、私どもとの交わりを与え続けてくださいます。しかし、私どもも不注意によって、罪の誘惑に流され、決して、「断線」しないようにと励みたいと思います。それが、祈祷会の生活なのです。共に、お互いのために、そして、何よりも、伝道の進展のために、地域の人々と日本、世界のために祈りましょう。

☆  個人的なことで恐縮ですが、先週、ついに四十肩の痛みに耐えかね、病院へ。治療法は、分かっていたことですが、肩を動かすストレッチ・・・。40代の後半へと指しかかろうとする年齢。まだ若いはずなのに…。

★  今年の日曜学校のキャンプは、委員会を組織して周到な準備を重ねておられるようです。わたしも家内もノータッチ。教会の成長を見ます。締め切りは過ぎましたが、久しぶりに参加する地域の子らも起こされているとのこと、本当に嬉しく思います。奉仕者の働きに心から感謝するものです。

☆  本日の伝道所委員会で、上半期の反省と下半期の展望を確認します。私どもの今年度の目標は、「ディアコニア」です。委員がその中核になるべきでしょうが、しかし特に「姉妹会」が「執事的な奉仕に生きる教会」の責任をどのように神と人の前に、担うことができるのかが問われます。祈りを集めたいと思います。