「神へと出発する人」
カテキズム 問い14
暗唱聖句 創世記 第12章4節a
「アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。」
テキスト 創世記 第12章1-9節
主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。
僕たち私たちは、今日からキャンプに出発します。今日の礼拝は、もう、キャンプが始まっています。キャンプの初めの礼拝なのです。楽しい、すばらしいキャンプとなるように、この礼拝式のお話をしっかり聞きましょう。今年のキャンプは、アブラハムさんという人をしっかり学びます。
みんなのなかで、ザアカイさんのお話を知っているお友達もいるでしょう。イエスさまに救っていただいた徴税人、背の低いあのザアカイさんです。イエスさまは、ザアカイさんがイエスさまを信じたとき、こう仰せになられました。「今日、救いがこの家に来ました。ザアカイも、アブラハムの子なのですからね。」つまり、イエスさまを信じている僕たち私たちも、アブラハムの子どもたちということをイエスさまはお教えくださっているのです。それなら、僕たちの信仰のお父さん、僕たち私たちの信仰のお手本のアブラハムさんっていったいどんな人なのでしょうか。
今からおよそ4000年の昔のことです。アブラハムさんは、カルデアのウルというところに住んでいました。今のイラクという国がある場所です。ユーフラテス川という大きな川のほとりにある町がアブラハムさんの生まれ故郷でした。その頃、この町では、皆が月を神さまとして拝んでいました。今でいうと、星占いのようなものが盛んに行われていました。
そのような町にアブラハムさんは家族と暮らしていました。ところが、ある日のことです。神さまはアブラハムに呼びかけて言われました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」神さまはアブラハムさんには何の相談もなしに、突然に、「生まれ故郷を離れなさい、そこから出なさい」と、お命じになられました。そのとき、アブラハムさんは75歳です。ふるさとから旅たつには、決して若くはありませんでした。アブラハムは、どうしたのでしょうか。「いへいへ、神さま、もう新しいことをする年齢ではありません。ただ生まれ故郷から離れて、神さまが示してくださる地に行けとおっしゃっても困ります。第一、どこに行きなさいと、神さま、あなたはおしえてもくれません。」こう言って、断ってしまったのでしょうか。
違います。今日の暗唱聖句のように、アブラハムは、主の言葉に従って旅立ちました。
それなら、どうして、神さまは、「アブラハムさんにお父さんの家、生まれ故郷を離れなさい、その外に出てゆきなさい」と命じられたのでしょうか。それは、おそらく、月を神さまと拝んでいるような場所、それを偶像礼拝といいますが、そんな神さまが悲しまれ、神さまが憤られる町から離れて、ただ天と地とを創造された真の神さまだけを礼拝する新しい民をおつくりになられるためであったと思います。
だって、月を神さまのようにして拝むなんて、おかしいと思いませんか。でも、わたしたちの日本にも、昔は、月には、ウサギがいてお餅をついているなんて、本気で信じていた時代がありました。お月見団子を、月にお供えするなんて、見たことのあるお友達もいるかもしれません。そのようなお月見はしないかもしれません、見たこともないかも知れません。でも、こんなおばさんのことはテレビで見たことのあるお友達もいるでしょう。占い師の女性です。自分は何でも知っているようなフリをして、「ズバリ言うわよ」だなんて、おかしいことをテレビではおもしろがってやっています。悪いことを言われて怖がってしまった人もいます。僕たち私たちは、そんなことにだまされたり、脅されたりしていけません。
子どもカテキズムの問い14を一緒に読んでみましょう。
問14 運が悪いと言ったり、占いを気にしたり、たたりを気にすることはできますか。
答 私たちにはできません。神さまより大きく強いものはないからです。
父なる神さまは私たちを愛してくださるのです。ですから、たとえひとりぼっちでいてもこわくはありません。そんなとき、私たちは、「天のお父さま」とお名前をお呼びします。お祈りすると、神さまがいっしょにいてくださることがわかるのです。
神さまは、大きな力、愛の力で神さまの子どもの僕たち私たちをいつもちゃんと守っていてくださるから、安心してよいのです。天のお父さま!と神さまをお呼びすれば、おばけも幽霊も悪いものたちは吹っ飛ばされてしまいます。
でも、天のお父さまと呪文のように唱えてもだめです。本当に神さまを信じて、自分が神さまの子どもにされていることも信じて、天のお父様とお呼びすることが大切です。神さまを信じ続け、神さまに従い続けることです。
たとえば、僕たち私たちの住んでいる町には、教会はとても少ないですね。イエスさまを信じていない人たちばかりです。学校のお友達のなかで、イエスさまを信じているのは、一人だけというお友達もいるはずです。だったら、そんな学校には行かなくても良いのでしょうか。違います。
神さまがアブラハムさんを、生まれ故郷から離れなさいとおっしゃったのは、ただ住む場所をかえればよいということではありません。引越しすればよいわけではありません。それは、こういうことです。神さまを信じない心、自分のことばかりを中心に考える心、そのような古い自分の心の外に出なさいということです。つまり、自分が一番、自分が絶対、自分が、自分がという自己中心の心の外に飛び出て、神さまを信じて従うということです。アブラハムさんがしたのは、そのことでした。そして、アブラハムさんは、神さまの言われたとおり、外にでたのです。旅立ったのです。
アブラハムは、どこに行くのか分かりませんでした。でも、分かっていたのは、神さまに言われたとおりにすることが絶対大切、必要だっていうことでした。神さまが言われたとおり、自分中心の外にでること、神さまを中心にして生きること、神さまに喜ばれるようにすること、それが出発する、旅立つということなのです。
実は、このことは、僕たち私たちも、まったく同じです。同じことをしているのです。イエスさまを信じる僕たち私たちも今、ここで、天国を目指して旅をしているわけです。日曜学校の先生たちと、日曜学校のお友達と、教会の人たちと天のお父さまとイエスさまとがおられる天国を目指して確実に歩いているのです。教会はこの場所に毎日建っています。でも、教会は、いつでも、天国に向かって進んでいるのです。神さまとイエスさまがおられるところに向かって一歩一歩進んでいるのです。アブラハムさんと同じように、旅立っているわけです。
そうなれば、僕たち私たちに大切なことは、一回限り、出発するのではなくて、毎日、出発することですね。毎日、自分中心から神さまに喜ばれるようにと自分の外、自分が絶対一番じゃないといやだ、自分が楽しくなければぜったいいやだ、自分が得しなければぜったいしたくない、そんな自分の殻を打ち破って、外にでること、神さまに向かうことが大切なおです。
さて、そのように天国を目指して前進するアブラハムさんは、神さまからすばらしい約束も与えられています。「わたしはあなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源になるように。~地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」
つまり地球の上に住んでいる人間は、アブラハムさんによって神さまの祝福を受けるというすばらしい約束です。神さまの祝福とは、何でしょうか。それは、神さまの救いを受けて神さまの子どもとされるということです。それは、本当でしょうか?本当です。なぜなら、アブラハムの子孫としてイエスさまがお生まれになられました。イエスさまによってすべての人が祝福を受けるからです。イエスさまを信じている僕たち私たちは、アブラハムの子どもたちというわけです。
そして、このアブラハムさんに与えられた祝福は、アブラハムの子どもたちにも与えられているのです。つまり、僕たち私たちも自分中心の悪い心の外に出て、神さま、イエスさまを信じるなら、あなたを通して神さまの祝福があなただけではなく、あなたの愛する人、お父さん、お母さん、兄弟姉妹、お友達にも及ぶのです。逆に、あなたがイエスさまを信じるのをやめて、自分の小さな世界のなかに閉じこもってしまえば、神さまの祝福があなたのまわりに及ばないのです。僕たち私たちは、アブラハムの子です。世界中に神さまの祝福、救いを広げることができるのです。皆で一緒に、アブラハムさんのように、神さまに向かって、天国に向かって、今週も出発しましょう。
祈祷
天のお父さま 今から、僕たち私たちは、日曜学校のキャンプに出発します。このキャンプを通して、アブラハムさんにしてくださった神さまのすばらしい御業をたくさん学べますように。僕たち私たちが、アブラハムさんのように、神さまを信じて、悪い心、汚い心、自分勝手な心の外に出て、神さまのほうへ、神さまに喜ばれる方へと、いつも、出かけられますように。 アーメン。