☆ 明日から、50周年信徒大会です。インフルエンザの影響を案じます。高齢者、持病を持つ方は、用心された方がよいかと思います。実は、土曜日のお昼、第二講演者であり、中部中会議長の木下先生から、お電話をいただきました。御子息の学校が学級閉鎖。ご自分も罹患の疑いもあるとのこと、したがって、先生は本日の説教も、講演もできなくなったということです。(わたしは副議長ということになっていますので、先生の代わりに、韓国からの問安使他に対する謝辞を述べなければならなくなりました。)伝道所委員会報告にもある通り、教会の対策としては、とにかく、玄関での手洗いの励行、そして、ハンドタオルをやめて、ペーパータオルを使用することです。マスクは、教会では常備せず、罹患の可能性がある方、持病のある方が、御自分で備えて頂くことです。罹患が確定された方は、当然、出席は見合わせて頂くことになります。
★ 「50周年記念誌」が配布されました。カラー写真で、各教会の「ことば・沿革・教勢」などが記されています。この10年、中部中会は、「嵐」の日々であったと思います。その嵐の中心は、教師にあったことは明らかです。そうであれば、今回の記念大会の基調となるのは、誰よりも教師の献身の徹底、悔い改めから始まると、わたしは考えています。宣言は、教会形成の原点、真の教会の標識(マーク)と言われる、説教と聖礼典に集中しようと呼びかけています。私どものまさに常識、生命線です。それを、このような形で再確認しなければならないところに、私どものおかれた危機があるとも思います。又、改革派らしく、教会の諸問題は、まさに、福音の力によって解決される以外になく、それ以外の道を求めることはできないという表明でもあります。真正面から、説教と礼典に取り組もうとするわけです。それは、まさにこれまでの名古屋岩の上教会の励み続けたことに他なりません。
☆ ただし、問題は、これをどのように「適応」すべきかということです。残念ながら、「適応」については、語られていません。各個教会に任されているわけでしょう。また、説教と礼典理解そのものについての新しい洞察や主張があるわけではありません。その点は、牧師たちが、(信徒と共に)、説教と礼典の理解を深め、その実践に取り組むことを求めていることなのでしょう。神の教会を形成する根本である、説教と礼典への信頼、そしてその力を真実に取り戻す努力が求められています。
★ 今回の宣言には、各教会の「ことば」も掲載されるようです。私どもの「教会の言葉」は、伝道所委員たちが檀上で、読み上げます。趣向をこらして発表する教会もあるようですが、わたしどもは、ただ「ことば」です。この言葉を、私どもが真実に告白して、経済の自立と小会の設立を成し遂げることこそ、私どもの誓約です。
☆ どのように不変の教会のしるし、そして福音の力の源泉を、この時代と地域、各個教会に「適応」するのか。この課題は、まさに教会の地上にある限りの課題です。私どもは、それを教会のディアコニア、子ども伝道、社会的発言として告白しました。しかし、どのように魂を獲得し、主に捧げるのか、この点は、記していません。特効薬はありません。しかし、表現はふさわしくありませんが、「ガツガツ」するくらいに、魂の救いに取り組むことではないでしょうか。本当に、一人の救い、ひとりの存在の重さ、魂の救いにこだわることでしょう。こう記す時、他でもなく、まさに、伝道者である自分の中心的課題であることを思わざるを得ません。
★ 韓国でした説教、その第一回目の、緊張したぎこちない説教をHPから見ました。二、三回目なら、まだましなのにと思いつつ、日本にいながら韓国教会のネットから自分の説教を見る。実に、不思議な思いです。
http://church1.or.kr/zboard/skin/hancoma_movie_sermon/multi_player/multi_player.php?id=sermon_vod&no=623